2016年 12月 08日

『サイコ』中断、町村智浩/柳下毅一郎『ファビュラス・バーカー・ボーイズの地獄のアメリカ観光』へ

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 写真は12月1日に行った森岡書店のある鈴木ビル。銀座一丁目と
いうより新富町近く、といった方が分かりやすい? 向かって左隣の
近代建築風ビル、真ん中・鈴木ビル、右隣の岩瀬産業と、近代建築史
みたいな並びだ。大通りを逸れた小さな通りに残っているのが銀座。
大通り側は、わたしには必要じゃない。

 昨日はお祖師様から新高円寺へ歩いて、Myriaとvillains、そして
開いていた「古書 十五時の犬」!
 いちおう満足できる時間、滞在して、文庫本3冊。読むための本を
探す客が、わたしたち以外に二人。満員に近い。
 ファビュラス・バーカー・ボーイズと池島信平『雑誌記者』、
ドゥルーズ『記号と事件』。

 わたしは、本>オブジェ(小物雑貨)>着るもの、の順で必要になる。
音と映像は、近ごろパソコン頼み。

     (町村智浩/柳下毅一郎『ファビュラス・バーカー・ボーイズの
     地獄のアメリカ観光』 ちくま文庫 2013初 J)





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# by byogakudo | 2016-12-08 21:05 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 07日

ロバート・ブロック/福島正美 訳『サイコ』を読み始める

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 そういえば本は読んでなかったことに気づいて、先だって、
プリシラブックスで買った。

 冒頭で、何ッ?!と思わせる始まり方である。

 雨の音に驚いたノーマン・ベイツが椅子から立ち上がりかけ、
<読みさしの書物が、手から、肉づきのいい膝へとすべった。>(p7)
__"肉づきのいい膝"?!

 次のページに至ると、
< スタンドの光が、ぼってり肥ったノーマンの顔を照らし、縁なし眼鏡に
 反射して、再び読みつづけようとさげた頭の、やや薄くなりかけた黄色っ
 ぽい赤毛の下の地肌にふりそそいだ。桃色の、やわらかそうな地肌だった。>
(p8)

 小説の方のノーマン・ベイツは、そんな身体の男だったのか。知らなかった。
予想だにしない、衝撃的な姿・形である。映画化するに当たってヒチコックが、
犯罪者的でない、むしろ被害者になりそうなアンソニー・パーキンスを選んで
くれてて、よかった。だって、小説通りの、肥って髪の薄くなりかけた四十男
(年齢もあとで書いてある)を主人公に据えていたら、観客は主人公に感情移入
できないだろう。

 頭の中からアンソニー・パーキンスを外して、読んでいかなきゃ。

     (ロバート・ブロック/福島正美 訳『サイコ』
     ハヤカワ文庫 1996年7刷 J)





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# by byogakudo | 2016-12-07 21:52 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 06日

ナサニエル・ウェスト/丸谷才一 訳『孤独な娘』読了

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 常盤新平『アメリカン ジャズ エイジ』で、ナサニエル・ウェストを
思い出した。名前だけ知っていて読んでなかった。

 読んでみる。すばらしいじゃないか! なんでわたしはこれを読んで
なかったのだろう? 死ぬ前に間に合ってよかったが。

 ビートニク前後と、わたしは呼ぶけれど、ホレス・マッコイ『彼らは
廃馬を撃つ』、デューナ・バーンズ『夜の森』、ヒューバート・セルビー
Jr『ブルックリン最終出口』、ジョージ・バクスト『ある奇妙な死』も
そうか...、暗くて狂躁的でやりきれなくて落ち着ける世界。

 それにしても、丸谷才一の初訳は1955年らしいが、改訳なしで
この文体なのか。ビートとリズム(と抑制)がすばらしい。いま、
翻訳されたみたいだ。
 p44の会話中にある"ホイスマンス"は、"ユイスマンス"に変えた
方が読者に親切とは思うけれど、こんなこと、どうだっていい。

 世界は徹底して主人公の視点で記述されるから、主人公が改めて
自分の本当の名前を述べることはない。新聞社の身の上相談欄・
担当者として名づけられた、"孤独な娘(MISS LONELYHEARTS)"
として自らを捉え、その名前に囚われる。
 一人称の世界なので、彼が自身のホモセクシュアル傾向に気づく
こともない。

 彼はキリスト・コンプレックスだ。読者から寄せられるあらゆる
深刻な悩みを我が事として共振する。新聞記者に必要な距離、他者性
はない。
 キリストに倣って人々を、大衆を愛そうとする彼は、大衆の苦痛を
情熱的に一身に引き受け、受難する。愛する試みに失敗して、憎悪を
交歓することしかできなかったから。
 聖性が求められない20世紀に生まれたキリスト(の弟子)にできるのは、
憎悪の完成としての、彼の死しかないだろう。新聞紙上に一度、掲載され、
すぐに忘れ去られるような。

     (ナサニエル・ウェスト/丸谷才一 訳『孤独な娘』
     岩波文庫 2013初 J)





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# by byogakudo | 2016-12-06 20:19 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 05日

鈴木創士氏のコラム『第81回 天使が通る―時間の反故についての若干の考察』

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 2016年・最後の鈴木創士氏のコラムは、『第81回 天使が通る―
時間の反故についての若干の考察
』。


 __読み終わる。わたしは波打ち際に坐り、繰り返し打ち寄せる波を、
ずっと見つめていたような...。





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# by byogakudo | 2016-12-05 21:13 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 04日

(2)丹生谷貴志氏のツイッターより

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 丹生谷貴志氏・ツイッターからの引用。

<かつて知人が「ポストモダン哲学って要するに日本的じゃん」と言い、
 その言い方には根本的な不正確があって議論に苛立ったが一方で、
 以降現在に至るまで「西欧哲学」が妙な具合に極東的感覚(?)に
 「馴染み深い感じ」になってきているというのは必ずしも間違っては
 いない気もする。よかれ悪しかれ。>
(15:57 - 2016年12月2日
https://twitter.com/cbfn/status/804837016235933696)

<・・・仮に、美を「美」から解放し道徳を「徳」から、形而上学を
 「形而上学」から、真理を「真理」から解放し、造物主を「造物主」
 から解放し被造物を「被造物」から解放しetc・・・が20世紀以降の
 西欧思想の企画であったとすれば、それは「私たち」が「持っていた
 もの」と「似て」はいる訳だ。>
(21:27 - 2016年12月2日
https://twitter.com/cbfn/status/804919924233670656)

 日本語の絆創膏的・融通無碍性が、これの土台?





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# by byogakudo | 2016-12-04 11:23 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 03日

ピエール・ドリュウ・ラ・ロシェル/有田英也 訳『ドリュウ・ラ・ロシェル 日記1939-1945』に取りかかる

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 常盤新平さんの文庫本の次は何を読もうかなと、背後の低い本の
山を見る。なんとなくドリュウ・ラ・ロシェルを函から引き出し、
それにしても分厚いと思いつつ、ページを開いて読み出したら、
 「お正月に読み始める本じゃなかったの?」と、S。

 その手もあったかと思うが、もう読み出してしまったので、昼間
読む
のは、これにしよう。まだ、『編者解説』である。ドリュウ・
ラ・ロシェルの女性歴・説明と、女性たちの小説への登場ぶり、
彼の政治観の移ろいなどなど。
 桜井哲夫『「戦間期」の思想家たち レヴィ=ストロース・ブルトン・
バタイユ』の記憶
が抹消されないうちに読まなければ。

 もうすでにうろ覚えではあるが、あれを読んでいたおかげで__

<ドリュウは[注:『ジル』の]物語を実際より十二年遅らせ、一九三四
 年の暴動に重ねた。この時、彼にとっては、フランス再建の最後の
 機会が砕かれたのだった[議員の汚職に憤った極右と一部の共産党員
 が、コンコルド広場から国会に突入しようとし、多数の死傷者を出した
 事件]。>(p20下段)

__の、文末の脚注にも、たじろぐことなく読んでいける。

 それにしても、一冊本にした意図は分かるのだが、読み手の側に立てば、
分冊にすべきだったと思う。無線綴じで厚さ38mm、上下組である。
 上下巻・2冊にすれば、ソフトカヴァであっても、もっと開きがよくなり、
落ち着いて読めるのに。両手で開いてないと、すぐ閉ざされてしまう本の
造りは、世を拗ねた作家の精神に沿った装幀なのだろうか。

 一冊にしたのは、『パリ解放半世紀を経て__訳者後書きにかえて』
にある、
<安原氏が本書の価値を認め、全訳を快諾してくださったのは幸運だった。
 不穏当な箇所を削ったと誤解されずにすむからである。>(p617下段)

__完全版であることを強調するし、何よりも、作家の記述を納めるのが、
本である、本というオブジェであると、装幀:菊地信義は言いたいのかも
しれないが、本はまた、閉じられたままでは、十分に姿を現さない。
 オブジェ性の過剰な強調が、読者と作家を遠ざけることになるのでは、
なんのための装幀だろう? 
 分冊と一冊本とではコストがちがうからなのか?

     (ピエール・ドリュウ・ラ・ロシェル/有田英也 訳
     『ドリュウ・ラ・ロシェル 日記1939-1945』
     メタローグ 1994初 函 帯)





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# by byogakudo | 2016-12-03 21:20 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 02日

(2)常盤新平『アメリカン ジャズ エイジ』再読(?)・読了

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~12月1日より続く

 巻末のあとがきには、大原寿人・名義の『狂乱の1920年代 禁酒法
とジャズ・エイジ』(1964年 ハヤカワ・ライブラリ)あとがきも引用
されている。

<私は二〇年代について書きながら、そこに一つの国の、一つの
 時代の青春を見ていたのである。古めかしい感慨かもしれない
 けれど、通俗的に言うなら二〇年代はただ一度の青春だったと
 いう気がしてならない。
 [略]
  短命の時代だった。フレデリック・ルイス・アレンがいみじくも
 「小春日和」といった一九二〇年代という時代は、いつはじまって、
 いつ終ったのか? それは、休戦(第一次大戦)の一九一八年に
 はじまったと言ってもいいし、ヴェルサイユ条約が成立した一九一九年
 でもいいが、禁酒法の発効した一九二〇年でもいい、そして、この時代
 が終りを告げたのは、ウォール街の大暴落があった一九二九年でもいいし、
 ニュー・ディールのはじまった一九三三年でもいい、禁酒法が撤廃された
 一九三四年でもかまわない。いずれにしても、すでに三十年も昔のことだが、
 「つい昨日」(only yesterday)の時代でもある。>(p359~360)

 常盤新平氏が14歳のとき第二次大戦が終わり、カラフルなアメリカ大衆文化
が押し寄せる。そのころ好きになられた世界が、都会(都市ではない)のかけら、
だったのではなかったのかしら?

 自分の好きな世界を一項目ずつ集めてゆき、一冊の本に編み上げた結果、
常盤さんは自分の立っている場を確認され、その後の作品も方向付けられた
のだと思う。そのおかげで、1970年代のわたしたちは、ホレス・マッコイにも
触れ得たのである。

     (常盤新平『アメリカン ジャズ エイジ』 集英社文庫 1981初 J)
 





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# by byogakudo | 2016-12-02 21:49 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 01日

(1)常盤新平『アメリカン ジャズ エイジ』再読中(?)

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 むかし読んだ気もするのは、たとえばブラック・ソックス・スキャンダル
の知識があるからだろうか。

 東京新聞・2016年11月29日・夕刊で、野茂英雄が「スポーティング・
ニューズ」誌の「大リーグの歴史を変えた40人」の37人目に入った記事
を読んだ。
 当然だろう。野球をやったこともライヴで見たこともないけれど、日本の
野球にフィットできなかったらアメリカに行く選択肢があることを身を以て
証明し、多くの日本人プレイヤーが野茂の後に続いたのだから(じつは、
マッシー村上は最初にアメリカでプレイした日本人だけれど、誰も後に
続かなかった、という知識まである)。

 「大リーグの歴史を変えた40人」の1位が、『アメリカン ジャズ エイジ』
にも登場するベーブ・ルース、2位が初めての有色人種プレイヤー、ジャッキー・
ロビンソン、これらは納得できる。しかし、3位が「ブラックソックス事件」の
とき、
<選手の永久追放など断固たる措置を取った初代コミッショナーのケネソー・
ランディス>なのには、八百長があった詳しい事情を知った今、少し疑問を持つ。
 この本で読むまで、たんに球界とギャングとの結びつき・腐敗としか見ていな
かったのだが。

 『嘘だと言ってよ、ジョー! ブラック・ソックス・スキャンダル』から
書き抜く。

 ホワイト・ソックスのオウナーであるコミスキーは、
<たたけるだけ安くたたいて労働力を買うといったタイプの経営者だった>。

 ヴェテラン投手のエディ・シコット(プロ14年、34歳。29勝)で6000ドルに
満たない。シューレス・ジョー・ジャクソンも6000ドル以下、三塁手のバック・
ウィヴァーも同じく。
 一塁手ガンディルと外野手フェルシュ4000ドル、レフティ・ウィリアムズと
遊撃手スウェード・リスバーグは3000ドル以下だ。
 1919年ころの最低生活費が、2000ドルくらい。

 同年度のワールド・シリーズの対戦相手、シンシナティ・レッズの選手たちは、
外野手エド・ラウシュが10,000ドル(レッズの強打者だが、ジョー・ジャクソン
よりはるかに劣る)、三塁手ヘイニー・グロー8000ドル、一塁手ジェーク・ドー
バート9000ドル。

<とにかく、ソックスの選手たちは、最高の技倆をもちながら、最低の給料に
 甘んじている。
  こういう状態が何年もつづいてきたのだから、選手間に不満が渦まいていた
 としても不思議ではない。しかし、自宅へ郵送されてくる契約書の内容に腹を
 たてても、コミスキーの非妥協的な態度の前には、選手たちの抗議も通用しな
 かった。契約を扱う球団の代表ハリー・グラビナーもなれたもので、「契約
 するか、それとも退団するか」の殺し文句を繰り返すばかりだった。
  この台詞(せりふ)はいわば脅迫に等しいのだが、選手たちには、絶対的な
 効果があった。選手は、野球協約によって、球団のものだったのだ。もしも
 選手が契約の条件を呑むのを拒絶すれば、規則によって、プロの世界で野球を
 することができなかったし、他球団もそうした選手を採用することは許されな
 かった。>(p19-20)

 こういう奴隷契約・状況にあったことを無視して、八百長をした選手たちだけに
厳しい処分を与えたのはフェアかしら? 野球以外の職業能力に長けているとは
思われない人々なのに、一罰百戒で球界の浄化を図る。
 「スポーティング・ニューズ」誌を直接読んでいないので、コミッショナー、
ランディスへの評価の詳細を知らないのだが、彼は結局、このころの球団経営者
たちの側に付いた、とも言えるではないか。

     (常盤新平『アメリカン ジャズ エイジ』 集英社文庫 1981初 J)

12月2日に続く~
 





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# by byogakudo | 2016-12-01 21:07 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 30日

東京フリーメソヂスト 杉並中部教会(2016/11/29)

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 地下鉄や電車に乗りたくないなら、近場を歩くしかない。
行き尽くしたと思える近場。それでも青梅街道から関東バスに
乗り、五日市街道を進み、環八を越え、宮前一丁目だったかで
降りて荻窪方向に歩く。

 地下鉄で荻窪に行き、そこから南下して五日市街道という
コースもあるが、住宅地をうろつきながら無事に五日市街道
のバス停にたどり着けるか、心もとない。北上する方が無難
である。

 そういう消極策だったが、「東京フリーメソヂスト 杉並中部教会」
にぶつかった。ずっと使われていないように見える。
 枯れた草、閉ざされて赤錆た鉄柵、奥の遊具にも錆が来ている。
うつくしい。
 一周してSが写真を撮る。

 掲示板に書かれていた<杉並中部教会(東京フリーメソヂスト)>
を頼りに検索すると、検索欄・右側には写真と所在地と電話番号の
記された囲みがあるし、記事も2、3あった。

 アクトデザイン凛太郎のブログ 東京フリーメソヂスト 杉並中部教会

 雅万歩 荻窪

 小さな旅と四季の風景 静かな街の古い洋館巡り

 ここは「メソスト」表記だが、東京フリー・メソスト教団とは
違うようだし、「日本メソスト教会」との関係は?





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# by byogakudo | 2016-11-30 17:15 | 雑録 | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 29日

(2)ロバート・キャンベル/東江一紀 訳『鰐のひと噛み』読了

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 写真は11月17日、浜町公園で。そういえば、公園からまた水天宮
方面に向かったとき、cafe tabacといえばいいのか、そんな感じの
お店があって、左手の窓近く、Sも見たことがないというサンバースト
のギターが壁に掛けられ、窓にはレオン・ラッセルのLPジャケットが
4枚、貼られていた。
 何屋さんだったのだろう?

 
~11月27日より続く

 鰐にかみ殺されたラテンアメリカ系の男の死体から始まった事件は、
中南米といえば、すぐ連想されるブツとの関わりに展開する。
 ジミーはいつもの、出しゃばるんじゃないよという仕打ちをされるが、
妨害をかいくぐって事件を解決、のパターンに捻りが加わる。

 終りの方で、ジミーは同棲中の恋人、メアリ・エレン・ダンと結婚する。

< 「......班長を続けてるのは、役人の椅子にしがみつくためじゃない。
 人間が好きで、近所の人に手を貸したいからなんだ。今どきこんなことを
 言うと、ひどくばかげて聞こえるだろうけどね。誰もが他人を押しのけて
 生きてるような時代に......」>(p117)
__ジミー(ジェームズ)・フラナリーのルックスはジェームズ・キャグニー
に似ていると書かれているが、キャラクター的にはむしろ、ジェームズ・スチュ
アートが演ったような役柄だ。

 恋人はひっそりした結婚式を望んでいたけれど、善行の報い、彼に世話に
なった人々、組織、全2000人近い客が市役所に集まる披露宴となった。
 結婚に先立ち、ジミーの父(母はすでにいない)と、エレンの母と叔母とが
顔合わせする。父と叔母さんの丁々発止なやりとりが、おかしい。

 ロバート・キャンベルの良さは、1980年代後半になっても、正義漢を
主人公にできる、その古風さではないかしら? 

 いちばん好きだったのは、受け持ち地区ではないが、ハイチからの
難民女性に頼まれて彼女のアパートに行った、屋上での場面。

< 僕は階段をのぼって、屋上に出る。タールがぶくぶく泡を立てて
 いるところも、その上を歩くために板が渡されているところも、僕の
 アパートの屋上にそっくりだ。何もかもがガラスの中に押し込められて
 しまったような、昼と夜の境目の時間。クリスマスによくもらう透明な玉
 のようだ。手で振ると、玉の中で雪片が舞い狂う。この時間の街は、あの
 玉に似ている。この暑さだから、さすがに雪は舞っていないが。>(p97)


     (ロバート・キャンベル/東江一紀 訳『鰐のひと噛み』
     二見文庫 1989初 J)





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# by byogakudo | 2016-11-29 19:32 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)