2009年 09月 06日

青柳いづみこ「ドビュッシー 想念のエクトプラズム」読了

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 写真は、谷中霊園の猫たち。

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 本日までの古書 往来座 外市 /雨天決行に、
伊呂波文庫さんとともに当店も参加いたしました。
 皆さま、どうもありがとうございます。
 

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 昨夜、「ドビュッシー 想念のエクトプラズム」(青柳いづみこ 中公文庫
08初 J)読了。

 1884年をデカダン元年とするならば、マラルメ他が死去する1898年は
デカダンス終焉の年である(p244)。ランボーは1891年11月にすでに
死去(p151)。

 世紀末の蒼ざめた暗い情熱の蔓延から、時代はより機械化された近代を
迎えるが、ドビュッシーは青少年期を形作った世紀末趣味から離れず、
オペラ「アッシャー家の崩壊」に取り組み続け、20世紀に死去。

< 「すべての芸術は音楽の状態をあこがれる」というのは、ロマン派時代
 からさまざまな文人によっていわれてきた[中略]
 線や語といった実体のある媒体を持つ芸術が、そのくびきから逃れるために
 音楽の状態を憧れるのは、当然のことであろう。
  しかし、逆は困る。もともと、概念を明確に固定することの不可能な
 実体のない芸術である音楽が、さらに音楽の状態に憧れてはいけない。
 音楽は最初から象徴そのものなのだから、何ものかを象徴することは
 できない。[中略]
 実体のないものが実体のないものを表象しようとしても、それは二重なぞりに
 なるだけだ。>(p323~324)

 「さかしまに」をまた読んでみたいような、ないような。
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by byogakudo | 2009-09-06 12:15 | 読書ノート | Comments(0)


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