2010年 02月 16日

近藤富枝「今は幻 吉原のものがたり」読了

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 明治40年頃(1910年頃)、吉原でおいらんに仕える下新(したしん)を
していた女性からの聞き書きと、小説や資料で綴られるノンフィクション。
 吉原という幻想装置の構造・裏面が、よくわかる。女が就ける職業が
ほんとに少なかった、ということも。

 おいらんの風俗も詳しく書いてあるが、髷の種類を言われても、まったく
想像できないのが辛い。着物や髷で、どんな身分であるか一目瞭然な
時代だったとは知っているけれど、和装については漠然としか解らない
ハンディがある。

 幻想装置の一環として、大店での、おいらん初登場時の見得が紹介
されている。

 「ひきつけ」という、客の前でする一種の見得に、3パターンある。
ひとつは<客に向い立て膝をして坐り、右袖をクルリと返してきまる。>
ふたつめは<立ったまま後姿をそらしてきまる。>
みっつめ<客に向って立ち、しかけを持って斜めにきまる。>(p24)

 これらは着物姿だから、きまるのだが、妓女たちに洋服を着せた
ハイカラ趣味の店では、
<[略]このひきつけの型に困り、いろいろ工夫したあげくに、手を
 腰にとってそれがきまったという。>(p25)
 そうか、「ひきつけ」とはポーズィングのことだ。

 吉原という背景の中では華やかな存在であっても、おいらんたちの
その後は、あまり幸福ではない。時代は昭和30年代になっても、溝口
健二「赤線地帯」で、田舎に顔を出した吉原の女が、食堂の女から、
どんなに素人風につくっても玄人さんはわかりますね、と言われて
悔しがるシーンがあったが、素人・玄人の区別がきっかりしていた
明治時代に、前身を引きずりながら生きてゆくのは困難だっただろう。
 
 男たちにとって、その種の幻想装置があるのは当たり前の時代だった
から、文学者たちも登楼し、妓女たちとつき合う。
 「青鞜」の女たちも訪れてみるが、同性が肉を売る行為に関して、鈍感
であったようだ。

 売色に対して良くも悪くも暢気なのは、日本が、キリスト教文明圏では
なかったからなのだろう。もっともキリスト自身は、売女に石を投げられる
ものなら投げてみろと、啖呵を切っているが。
     (講談社文庫 96初 帯 J) 
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by byogakudo | 2010-02-16 12:54 | 読書ノート | Comments(0)


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