2010年 03月 13日

グレアム・グリーン「おとなしいアメリカ人」読了

e0030187_1433747.jpg






click to enlarge.


 写真は、昨日の東大駒場で。

 まず今週の新着欄です、よろしく。
 新着欄 

 戦争という大状況を観察し報告する、リポーターのイギリス人
中年男には、別居して故国に残した妻があり、戦地・ヴェトナムには
現地人の若くうつくしい愛人がいるが、彼女を若く金持ちで誠実なる
アメリカ人に奪われかける小状況も、同時存在している。

 アメリカ人の出現により、彼は彼女の重要性を認識したかのようだ。
ものごと・できごとすべてに対し、シニックに考える彼の習性が、
愛してるのではなく、孤独からの逃避として必要な存在だと認識
させるのだが、それでも彼は、奪われまいと画策する。

 ヴェトナム人女性を間にした、英米の男たちの争いだ。ヴェトナム人
女性は、もちろんアジア、男性である欧米列強の植民地のメタファだ。

 まだ我慢できる支配者と、はた迷惑な支配者との違いはあって、
「おとなしいアメリカ人」の状況認識なしの善意の押しつけは、
英仏流の植民地支配より、さらなる悪循環を生む。

 善意に発するアメリカ的価値観の強要は、不治の病かもしれない。
アメリカは結局、ヴェトナムから何も学んで来なかったと思い出させる
小説が、50年代半ばに書かれている、ということでもある。

 様々な人種が入り乱れる植民地風景、記録者として出かけた戦地で
ヴェトミンに襲われ、恋敵から命を救われる主人公のイギリス男は、
二重三重のしがらみの中から、ある選択をする。状況に参加することを、
あれほど拒否して生きて来たのに。

 誰も無辜の民ではありえない苦い認識が、グレアム・グリーンを読む
愉しさのひとつだ。

     (グレアム・グリーン選集12 早川書房 65年5版 函 元パラ) 
[PR]

by byogakudo | 2010-03-13 14:33 | 読書ノート | Comments(0)


<< J・ヴァン・デ・ウェテリンク「...      東大駒場を歩く >>