猫額洞の日々

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2010年 05月 22日

「野口冨士男随筆集 作家の手」読了

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 写真は西新宿の古いアパートで。

 今週の新着欄です、よろしく。
 新着欄 
 
 「野口冨士男随筆集 作家の手」は5冊のエッセイ集からの再録
だが、「処女作の思い出」に、岡田三郎の思い出が書かれている。

 野口冨士男が、「文学者」という半商業雑誌の二代目編集者・
岡田三郎から、何か書いたものはないかと尋ねられたのが昭和12年、
であるのはたしかな記憶らしいが、いきさつは憶えていない、とある。

 岡田三郎は野口冨士男より21歳年長で、野口を可愛がってくれた。
見せろと言われて持参した原稿だが、同人雑誌に書いて、古手の同人
から馬鹿にされたので引っ込めておいたもの、である。
<岡田氏は、どこをどう直せと一度として指示することなく、私に
その長篇を三度書き直させた。第一稿からでは、四度も読んでくれた
わけである。>(p147)

 昭和13年10月19日に岡田三郎から電報がきて(当時、貧しい作家が
電話を持つことはない)、野口は岡田三郎を訪問する。
<氏はその前年に年若い女性と駆け落ちをして、そのころ芝愛宕下の
アパートで同棲していた。私がノックしてドアを開けると、「いい
もんを書いたぞ」と笑顔で迎え入れて、その夜、私を吉原へ連れて
行ってくれた。ひとくちに吉原と言っても、女郎屋にはピンから
キリまである。中でも大籬(おおまがき)とよばれていた妓楼は四軒
しかなくて、そこへ登楼するためには、いったん引手茶屋へあがらねば
ならない。茶屋すなわち待合のようなもので、芸者あそびをしたあと、
遊客は女将と芸者に送られて大籬へ繰り込む。現在なら、十万円でも
済まない遊び方だったろう。>(p147~148)
 文中に昭和40年の出版記念会のことが出てくるから、<現在>は
少なくともそれ以降の時点である。

 「自伝抄『秋風三十年』」にも、
<[注: 昭和]二十九年四月には、私の最初の著書となった長篇の原稿に
三度も目を通してもらうなど、なにかと文学上の指導を受けた岡田三郎
氏が窮死するいっぽう、[以下略]>(p27)という記述がある。
 蕩尽のひと・岡田三郎、カッコいいではないか。

2015年10月20日に続く~

     (武藤康史編 ウェッジ文庫 09初 帯 J) 
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by byogakudo | 2010-05-22 14:29 | 読書ノート | Comments(0)


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