2010年 06月 02日

鮎川哲也「五つの時計」ほぼ読了

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 ほぼ、と言うのは巻末の推理作家たちの鼎談を読み終わって
いないので。

 原音表記原理主義者と決めつけた鮎川哲也だが、一ヶ所、
<長いホームが白々と伸びた眠ったような駅>(p94)という
表記がある。
 だが他の箇所では、<東京駅の十二番フォーム>(p101)
であり、<東京駅のフォームで待っていると>(p128)だ。
 誤植がそのまま残ったと解してよいだろうか? まったく
どうでもいい話だが。

 「宝石」昭和35年(1960年)4月号掲載の「不完全犯罪」に、
その当時の鷺宮風景と文化住宅が描かれている。

< 鷺宮(さぎのみや)七丁目の彼の家は、中野とはいうものの
 北のはずれにあり、境界線をはさんで杉並(すぎなみ)の下井草
 (しもいぐさ)ととなり合っている。[中略]
  あたりには茶の木を垣根がわりにうえた農家が多く、どの庭にも
 漬物用の大根がほしてあった。[中略]
  農家の一画をすぎると住宅地帯に入った。浪花節と流行唄ばかり
 きこえてきたラジオの声が、一変してジャズやクラシックになった
 ことでもわかる。[中略][注: 彼の家は]半ば朽ちかけたようなぼろ家
 であった。[中略]そのむかしはやった和洋折衷の、いわゆる文化住宅
 である。二階の窓のよろい戸の、こわれているのが印象的だった。
  門を入って二、三歩ゆきかけた丸毛[注: 「彼」]は、そこでふと
 立ちどまると、ふたたびもどって扉をあけひろげた。[中略]
  丸毛が共同経営者をとおした部屋は、文字どおりいぶせき棲み家
 であるこの小宅のなかでも、いちばん上等の、客間と称する六畳の
 洋室であった。戦前に文化生活にあこがれた人種が、日本家屋のわきに
 玩具のような洋館をくっつけた家をこのんで建てたものだったが、
 丸毛家の客間もまたそうした洋館のひとつであった。>(p455~457)

     (創元推理文庫 01年3版 J)     
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by byogakudo | 2010-06-02 12:54 | 読書ノート | Comments(0)


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