2010年 07月 09日

倉田保雄「エリセーエフの生涯」読了

e0030187_129289.jpg









click to enlarge


 大昔__いま調べたら2005年5月末__手に入れ、少し読みかけて
投げ出した「赤露の人質日記」の前に、「エリセーエフの生涯」(倉田保雄
中公新書 1977初 VJ 帯)を読めばよかったのだ。背景をよく知らないまま
読んでも、解る訳がない。

 革命は一朝一夕には成らず、白軍・赤軍の攻防が何度かあって、ようやく
赤軍の勝利が決定的になり、大ブルジョア出身の学者(ジャパノロジスト)
であるエリセーエフは収監され、処刑か釈放か、未決状態に置かれる。
フランス革命時の貴族と同じ状況である。
 なんとか釈放されるが、リベラルな学者としての未来はないと判断して、
遂に亡命を決意する、という成り行きだった。

 明治の新体制がいちおうの落着きを見るまで、西南戦争等があって
十年がかりだったように、革命や政府転覆時の動揺が収まるには時間が
かかる。
 ロシア革命直後の混乱は激しく、食料も、冬に欠かせない薪もなく、
エリセーエフ一家は飢餓に悩まされ、身近な人々には餓死者も出る。
 暖を取るために、まず家具を燃やし、とうとう本を燃料にする。これは
辛い。それもあっての亡命であろう。

 前半生は大富豪の坊ちゃんとして、日本での豪華な、若旦那風留学
生活を送り、漱石や門下の知識人たちと親しく交わる。
 ロシア革命以後は、貧乏暇無しの亡命ロシア人としてパリに落着くが、
同じ頃、まるで役割を交代するかのように、薩摩治郎八が現れ、社交界を
席巻する。ドラマティックだ。

 ヌィイーにあるアメリカン・ホスピタルは、かつてエリセーエフ家のパリの
別荘だったそうだ。元エトアルのK夫人もかかっていたと聞いたことがある。
もちろん建て替えられているだろうが、今度伺ってみよう。
[PR]

by byogakudo | 2010-07-09 12:14 | 読書ノート | Comments(0)


<< エリセーエフ「赤露の人質日記」...      夏につかれて >>