2010年 09月 09日

正岡容「東京恋慕帖」に高篤三に関する記述があった

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 部屋の机にはアクリル板が敷いてあって、切抜きやメモが透けて
見える。2002年10月13日、東京新聞から切抜いた「わたしの
愛誦句」(寺井谷子 第3回)では、高篤三の俳句が二点、紹介されて
いる。

< 浅草は風の中なる十三夜 >
< 白き秋狐のお面かぶれる児 >

 詩歌についても、むろん無知蒙昧極まりないが、新聞の大抵は
端っこにある俳句や短文紹介のコラムに、習慣的に眼を通す。
 短歌も俳句もなんにも知らないので、ほんとは<高篤三という
俳人であるらしい人>とでも書くべきだが、<という>以下を省略し、
あたかもよく知ってる人名・事柄であるかのように書く。でないと
話が長くなる。

 『自鳴鐘』編集・発行人である筆者・寺井谷子は、横山白虹の娘。
横山白虹は明治32年生まれの山の手育ち、明治34年生まれの下町っ子・
高篤三と仲が良かったそうだ。<懐かしき東京の同時代の空気を吸った
者として通じるところがあったのであろう。>

 昭和20年3月10日、東京大空襲で、高篤三は行方不明になる。
 終戦翌年(1946年)、横山医院、類焼で家財を大半の家財を失う。

 彼女は父から、
<篤三から贈られたという、駄菓子屋などで売っているカタカナの
 ゴム判で一語一語を押した手製の豆句集を見せられたような記憶も
 ある。>が、火事でほとんど失ったのに、
<生前の篤三の豆句集が残っていたというのも不思議で、その不思議さ
 とあいまいな記憶が、私の中でこの一句の風景を特別なものにして
 いる。>

 なんとなく気になっていた高篤三の名前が「東京恋慕帖」の
「下町歳時記」に出て来た。 

(以下、9月11日に続く~)





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by byogakudo | 2010-09-09 14:50 | 読書ノート | Comments(0)


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