猫額洞の日々

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2010年 09月 11日

正岡容「東京恋慕帖」の高篤三に関する記述・続き

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 写真は昨日の雑司が谷で。

 今週の新着欄です、よろしく。
 新着欄

(~9月9日の続き)

 夢二の描く日本橋堀留の水の青さが、再版の印刷トーンが変って
しまい、
<どうしてもあすこの水のいろは薄墨色でベトツとなすつてもらは
 なければほんとでないのだ。>
 その後にすぐ、
<高篤三所蔵「風俗画報」の「浅草名所図絵」の挿絵家山本松谷は>
と続く。(『下町歳時記』中『時雨・雪・三味線』p103)

 高篤三は浅草出身だし正岡容も、下谷練塀小路・河内山宗俊屋敷跡に
生まれた(ほんと?!)浅草・花川戸育ちだ。他に高篤三の話は出て
来ないかと読んで行ったら、同じ『下町歳時記』の『ただしんこ』
__「しんこ細工」の「しんこ」だがweb上に字がない。__の項に
あった。

< かねがね私は一ど自著の表紙にはありし日の下町生活の象徴として、
 ただしんこを木村荘八画伯に描いていただき度いとおもつてゐるもので
 あるが、この分では表紙にして見ても若い読者たちからは此は一体
 何だ色見本かとでも云ふことになりさうである。>云々の後、これを
読んだ高篤三からの葉書が紹介される。

< 「ただしんこ」はうれしいな、こんな文章をよまされると泣きたく
 なるよ。
  
  徳兵衛のしんこ細工も春のいろ

  こんな出来そくないの句があるよ。観音さまのまへの大銀杏の下に
 出てゐたしんこ屋、上手できれいな、知つてるね。あの爺さんの指の
 動きに出来る鳩やうさぎにも四季それぞれの景色が空の色がおのずと
 僕たちにはわかるんだよ。「ただしんこ」のほかはやかましくつて
 買へなかつた僕、女中がうしろにゐてね、かなしかつたものですよ。
 先日美和子がお母ちやんにめづらしくキレイなしんこざいくの鳩、
 お砂糖の入つたのを買つてもらつて大よろこび、たべるのを大切に、
 いたはつて尾の方からたべたつけ・・・・・・。>(p120-121)

 そして、
<戦火は熄み、親しく葉書して呉れたその人は爆火に倒れ[注 原文は
 人偏に「ト」。]、此に描かれた街々の、景情のことごとく氓び
 つくしてしまつたこと、繰返し説くにも当るまい。>(p121)

 『浅草灯籠』の終り近くに、3月10日の大空襲の跡地を訪れたことが
書かれている。

< 去歳、浅草大空襲後約一ケ月春昼の一日を、私は七軒町新堀端辺の
 焦土に北斎、春章、清親らの掃墓をしてのち、御厩河岸なる梅若能楽堂
 跡に佇んだ。潮のやうに濃く明るい春の大空の下、大川の川波は
 あくまでも青く、色ハンカチ、ハイヒールの片つぽ、紙幣入りの蟇口
 など悲惨に河岸つぷちにちらばつてゐるその側らの切石には白墨で
 「検視ズミ七十九名」とかいてあつたし、大通りの天水桶には位牌
 二つと男の写真とが立てかけられて祀られてあつた。>(p133)

 『浅草灯籠』は、
< 今春二月十二日、私は戦後はじめてささやかに新築された朱塗りの
 浅草観音堂に女房と詣で次いで三社さま披官稲荷に参詣、旧宮戸座跡を
 散策した。[中略]
 私たちは爆死した高篤三の旧居跡に礼拝黙祷して、しづかに去つた。
 高篤三は純粋殉情の浅草詩人で、その代表句には、

   浅草は風の中なる十三夜

 の絶唱がある。>(p133-134)と結ばれる。

     (好江書房 1948?)





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by byogakudo | 2010-09-11 13:55 | 読書ノート | Comments(0)


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