2010年 09月 23日

レイ・ラッセル「血の伯爵夫人」1/3

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 まだ途中だが、よく出来た短篇小説集だ。へたくそな日本の若手の
長篇を読む苦痛を思えば、巧いけれど、なんか退屈なぞと言っては、
バチが当る。不心得者め。

 だが、たとえばハリウッド・バビロン譚である「ビザンチン宮殿
の夜」のエンディング、落ちにさらに落ちを加えるテクニックを読むと、
どうも古くさい、というか・・・、不満だ。

 ハリウッドのタイクーンの館が鉄球で破壊されるシーンから始まり、
かつて館で開かれたパーティでのできごとに物語が移る。

 タイクーンは、周りの映画監督や脚本家、出演スターたちが、表面は
お世辞だらだら、陰では馬鹿にしているのを知っている。
 彼らの本音なんか解っていることを見せつけてやるために、ゲスト
ルームに秘かに録音装置をしかける。

 パーティの翌朝、皆に録音を聞かせる。タイクーン自身も聞くのは
初めてだ。ところが予期に反して、誰もが彼に感謝している内容だった。
 まさかの展開にショックを受け、感動し、タイクーンは泣き出す。

 月日は流れ、冒頭の解体現場のシーンに戻る。壊される様子を見守る
のは、館の執事であることが、ここで明かされる。じつは執事が客室に
「壁に耳あり」とそっと注意書きを置いていたのだ。
 最も身近な男に復讐された、という落ちである。

 悪くはないけどさあ。気が利いてるでしょ、というセンスが今では
古めかしく感じられる、ということなのか。
 いま、この話を書くとして、どう書くだろう? もっと、ぶった切った
感じ、ぶっきらぼうに終えるのか。

 短篇の完璧な小宇宙が、世界を現すのにあまり有効ではなくなり、
いたずらに長過ぎる長篇が受け入れられるのが今、ということなのか。

     (ソノラマ文庫 86初 帯 J)
 





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by byogakudo | 2010-09-23 14:06 | 読書ノート | Comments(0)


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