猫額洞の日々

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2011年 05月 10日

野村胡堂「胡堂百話」再読

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 忘れているので楽しく再読。篇中の「養老院礼賛」をなぜ、浴風会の
ことだと了解したのか不思議だったが、たぶん、初読時のスピードの
せいだ。

 <私の隣の養老院は、設備のよいことで有名であるが、>(p185)という
記述と、その先に出てくる「上司小剣(二)」(の戦争中の東京)で、
< 私が、軽井沢へ逃げ出すと決めた時は、ひどく心細がって、わざわざ
 高井戸まで、やってきた。
  「キミに逢うのも、これが最後かも知れないね」
  私の顔を見つめて、中学生みたいなことをいっているうちに、空襲
 警報が出て、井(い)の頭(がしら)の電車がとまった。薄暗くなった秋空の
 下を、リュック姿で、何べんも振り返りながら国電荻窪駅の方へ歩いて
 行った。>(p201)という記述とが結びついて、浴風会のことだと理解
したのだろう。
 早とちりであれ、それなりのステップを踏むものだと、自分で感心した。

 「上司小剣(一)」でのエピソードだが、上司小剣がタクシーで野村
胡堂の家に来るとき、半町手前で下りて歩いてやって来る。自宅に戻る
ときも、自宅の一町も手前で下りて歩いて家に入る。
 隣近所への昔風の気の使い方である。

 上司小剣のお母さんが、さらにすごくって、<玄関の障子を新しく
張った時、わざと二、三カ所、穴をあけ、そのところを切り張りにした。
これ見よがしの真新しい障子は、来訪者への儀礼でないというのである。
明治の末までは、こういう婦人が日本には、沢山いたのだ。>(p199)

 いまの人々に、このセンスが解るだろうか?
     (中公文庫 81初)





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by byogakudo | 2011-05-10 14:03 | 読書ノート | Comments(0)


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