2011年 05月 14日

法の精神

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 今週の新着欄です、よろしく。
 新着欄


 法律を学んだことがないからか、法の精神について、うつくしい
イメージを抱いている。クリスタルの結晶みたいな硬質の輝きをもつ
体系ではないだろうか、と。
 実際の運用上では、ひとが実行することである。当店のホームページと
同じように、最初のすっきりした骨格から贅肉だらけの、原型不明の代物
になってしまうのだろうが。

 ただ、法律に関して原理主義的なナイーヴな眼差しをもつ側から見ると、
裁判官が、
 「被害者・遺族の感情に鑑み」て、量刑を決定するのがわからない。
 一定量の犯罪には一定の量刑でなければ、法律の必要がないじゃない! 

 法律について考えたこともない素人を召集して量刑判断させるのも、
わからない。専門家が責任逃れするための言い訳行為に加担して、
 「いい経験をしました」とか宣う。法律は感情から遠く離れ、合理で
世界を決定しようとする試みではなかったのか。

 原則は法の元での平等、現実は法律は強者のためにあるって、知らない
訳はなく、わかっていても/いるからこそ、ダダをこねたい。
 いっそ江戸時代みたいな一罰百戒式、しかも遡及的法の実行をやって
みたら、庶民感情とやらも正義の追求とやらも包摂できるのではないか。

 原発推進派である/あった全員とその一族郎党とを処分するというのは、
いかが。
 遅くとも正力松太郎の頃まで遡り、政財界・役人連中・ご用学者・マス
メディア、すべての分野で原発推進により利益を得た人々とその子孫は、
財産・遺産を供出して、原発事故の被害者救済にあたるのである。

 老母が路頭に迷うなんて事態も起きようが、生活保護の権利は誰にも
あるから心配ない。心おきなく、反省の日々を過ごせばいいのだ。
 三角帽子を被せ、胸に罪状を記したカードを吊るして、歩かせようと
言っているのではない。





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by byogakudo | 2011-05-14 13:19 | 雑録 | Comments(0)


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