猫額洞の日々

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2011年 08月 17日

サルバドール・エリソンド「ファラベウフ」半分弱

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 鈴木創士氏と電話していて、ラテンアメリカ文学の話になった。
国籍はそれぞれ違うのに、なんであんなに素晴しい作家が一斉に出た
んだろうとか、「アウラ」や「モレルの発明」のかっこよさを喋って
いたら、
 「サルバドール・エリソンドの『ファラベウフ』ってのも良かったよ」。

 ソムニウム叢書版の「アウラ」も懐かしくて、やっぱり好きで好きで
しょうがなくて、二冊とも手に入れ、「ファラベウフ」を読み始めた。
(「アウラ」も寝床に持って行き、パラパラ開いて喜んでいた。)

 意図的に曖昧模糊とさせる書き方なので、半分近く読んでみても、
ストーリーは一向に進んでいない。
 解剖学者(らしい)ファラベウフ博士は建物に入ろうとしているのか、
立ち去った後なのか、廊下の奥で占いをしている女との関係は? 
 彼らと、窓際で外を見る男女ふたりとの関係は?(このふたりは鏡の
中で視線を交す。)

 登場人物と見なされる存在があり、瞬間的なできごとは、こと細かに
何度もスタイルを変えて語られるが、全体の構図がなかなか見えてこない。
 登場人物たちは、動作の過程を何度も繰返す。瞬間に宙づりにされた
ように、見る角度によって少しずつ異なる姿勢を見せながら、幾度となく。

< お分かりですか? 金縁の大きな鏡があるために、事実を述べようと
 しても全て曖昧になってしまうのです。>(p66)

 言葉とモノとの関係、言語のもつ鏡像性の話かなあと、お先走りな
見当をつけているが、どうなるのだろう。
     (水声社 91初 帯 J)

08月20日に続く~





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by byogakudo | 2011-08-17 14:37 | 読書ノート | Comments(0)


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