猫額洞の日々

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2011年 11月 10日

平山蘆江「続飯能随筆」読了

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 昭和17年(1942年)刊行なので、時局がらみの文章が多い。
ファナティックにならない右翼系エッセイ集だが、日本人の欠点
であると、わたしが考えるところの、業績ではなく、「人物」
評価の観点に立っちゃうのが残念だ。

 本川という故人の思い出話に、本川氏が広めようとしていた
「十字架教」の説明がある。

< 耶蘇も釈迦も孔子もマホメツトも同じ人間だ。これが同じ人間
 だつたといふ事の納得が行つた時、世界は統一されて、日本人は
 その指導者になり、世界中の人間が日本の天子様の大御心の
 おめぐみに涵ることになるといふ事。>(p110)

 世界の四大宗教思想の共通点を求めようとするのは、まだ解るが、
それを統一できるのが日本人であり、日本の天皇であるという説明は
何もない。そこで躓かないのが不思議である。

 ファナティックでないのは例えば、
< 近頃、はやりもののやうになつた八紘一宇といふ言葉、[中略]
 日本人のくせとして、漢字風の標語にしてそれで勿体ぶる事が 
 出来たつもりの新成熟語だと思ふが、一宇といふ二字を直訳的に
 解釈する事は甚だ危険だと思ふ。
  八紘を一宇に納めるといふから、世界中を日本の属国にでもする
 やうに思ひひがめられ、日本は侵略を企んでゐるなどと、毛唐どもの
 悪宣伝にひつかかりもし、[以下略]>(p124)

__自意識がなさ過ぎるので、そう思ってしまうのだろうか。仕事で
中国人とつき合ったことがあり、彼我の違いを理解している人にして、
この言葉だ。誠実さがそのまま、どこにでも通用するという抜きがたい
性善説から離れられない、ということかしら? ナイーヴとは愚かってことさ。

 戦時中の作家たちの文章をまとめて読めるアンソロジーはないだろうか。
みんな、多かれ少なかれ戦争熱に感染し、冷静だったのは荷風ひとり、
という結果になりそうだけれど。

     (読切講談社 1942初 裸本)





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by byogakudo | 2011-11-10 12:57 | 読書ノート | Comments(0)


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