猫額洞の日々

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2012年 02月 11日

間さんと間章のあいだ

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 記憶は騙り、語るものである。以下のノートはSの記憶に基づく。
時間経過に伴う錯誤や脱落、にせの記憶も混じっている可能性がある。

 1972年4月28日、田園調布の文化住宅から、セドリック或いは
スカイラインに乗った四人の若い男たちが新潟を目指した。
 車と家はテツ(彼をどう説明しよう? 山口富士夫と加部正義の
「リゾート」結成に関わった、と言うのが解りやすいだろうか?)に
所属し、あとの三人は、「Super Human Crew」(困ったネーミング
だと、これはわたしの脇台詞)というバンドのメンバーだ。
 ギター=A、ベース=S、ドラムス=Bのトリオである。
 ドラムセットが車の屋根に聳え、ギターとベースはトランクに
(ベースはトランクからはみ出している)、一路、新潟に向かう。

 まだ高速道路はない。6~7時間後、新潟着。夜である。四人とも
初めての土地だ。
 「ここが新潟かあ」
 辺りを見回しても真っ暗で、何もわからない。ジャームッシュ映画の
ワンシーンみたいだ。

 「Super Human Crew」たちは、間章主宰の「新潟現代音楽祭」に
呼ばれてやってきた。出演者多数の音楽祭だが、間章は、会場の手配やら、
あらゆる交渉事、すべての雑事をほとんど一人でやっていたのではないか?

 彼らを出迎えた間さんは、まだ彼らの泊る場所を確保していないから、
ちょっと待っていてくれと頼む。

 待つ間、車を止めた付近を懐中電灯で照らしてみると、白い小さな玉が
いくつも転がっている。クラブも地面に放ったらかされている。打ちっ
ぱなしゴルフ練習場だったのだ。
 みんなでクラブを振ってみる、東京から来た四人の若い男。ますます
ジャームッシュ映画の気配である。

 最悪、車の中で寝ればいいと思っていたら、間さんが来る。夜も更けて
いるが、民家を訪ねて一泊させてくれと交渉する、と言う。
 もちろん断られる。

 万策尽きた間さんは、四人を会場の用具置き場に案内する。
 「申訳ないけれど、ここで休んでください」
 体育道具の置き場のようだ。跳び箱やマットがあるから、マットを
引き出して、四人はようやく横になる。

 あまり眠れないうちに朝が来る。出番まで時間はたっぷりある。
間さんに聞いたジャズ喫茶が開くまで待ち、昼頃まで過ごす。

 会場前の広場みたいなところでSが煙草を吸っていたら、モップスが
吉田拓郎の曲を演っている。
 「あの頃もう、モップスのギャラは高かったと思うよ。10万くらい?」
 間章は資金をどう調達したんだろう?

 伝令が来て、やっと「Super Human Crew」の出番である。学芸会と
同じように、ステージ脇に演目表が出ていて、パフォーマーが替わる毎に
一枚ずつ捲られる。
 彼らの演奏するステージの前でストリッパーが踊っている。(これは
別のときの記憶かもしれないが)。観客は地元の幼い子どもから老人まで。
縁日みたような、のどかな空気だった。

 「『間さん』って、でっかくて熊みたいな男で、とても細やかに気を
遣ってくれる人なの。雑誌に載ってる(『ニューミュージックマガジン』
が出る前は、『ミュージック・ライフ』しかロックの情報がなかった。)
ロック評論で、唯一読める、あの文体の『間章』との落差が不思議
だったな」





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by byogakudo | 2012-02-11 16:13 | アート | Comments(1)
Commented by Fujii at 2012-02-13 17:06 x
凄いエピソードで驚きました。間氏と面識はありませんが、今は亡き母堂(間百合)とは一度お会いした事があります。間氏の高校時代の校長があのイベントに顔を出し、ため息をついたと聞きました。今も私の自宅にあるブリジット・フォンテーヌやデレク・ベイリーや阿部薫のLPの幾つかは間氏の遺品です。


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