猫額洞の日々

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2012年 03月 15日

阿佐ヶ谷「書原」

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 写真は、ジャズ喫茶「ジニアス」の窓辺。

 3月12日の月曜日は、ふたりで南阿佐ヶ谷へ行った。わたしは
無粋な用事__確定申告を出す前に税務署で聞きたいことがあった
__があり、待ってる間、Sは阿佐ヶ谷住宅を撮っていたが、あまりに
寒い。地下鉄駅近くの「珈琲館」にいるよ、と言い残して去る。

 1時間半くらいかかったか、やっと終わって「珈琲館」に行く。
その前にSは、同じく駅近くの「書原」人文科学コーナーで立ち読み
していて、「書原」のすばらしさを力説する。コーヒーを飲み終えるや、
早々に「書原」に向う。

 いいなあ。本だけ、どっさりある。入口の前に靴屋さんの棚がノシて
きていようが、壁に雨じみ(?)の跡が見られようが、目の届く範囲、
びっしりと本が存在している。

 新刊書店も古本屋も、ファンシーな構えが主流になった昨今だが、
付加価値なし、本だけ、の姿勢が潔い。
 右奥、人文科学コーナーで後ろを向くと、少し背の低い本棚に河出
文庫がずらりと並ぶ。天板の上には春陽堂文庫の時代小説、というのも
泣かせる。

 ファンシーでスタイリッシュ、お洒落な造りにしないと人目を惹かない、
という理屈はわかる。本が忘れられてる時代だから、そうでもしないと、
本屋は生き延びられない、それもわかるが、ファンシーもスタイリッシュも、
すでにクリシェになっている事実もある。
 「ああ、お洒落系古本屋/本屋さんね」と瞬時に理解され、一度は行って
みようと確認的に消費され、そしてクリシェだけが残る。

 本屋では本を売っている。この単純な事実を見せつける「書原」の方法は、
気持ちいい。なにより落着く。
 たとえば、新宿・紀伊国屋1階のカジュアルな見せ方になじめない体質には、
本屋の原点を思い出させる「書原」の手法は快い。

 本の整理がつかなくて、けもの道化している古本屋が、よく言うよと反省する
けれど、「書原」は古くて新しい本屋のあり方だろう。

 Sがこのところフーコーを読み出していて、彼なりの解釈を聞かせるものだから、
わたしも読み出した。読み物としての読書しかして来なかったわたしが、晩年を
どう過ごすかと思っていたら、この手がまだあった。
 やぶにらみの与太郎、現代思想を読む。と言った趣きだが、わかるとこは
わかり、わからないところは飛ばす。
 ある時、英語でパンとバタを稼いできた叔母が言った、
 「だって、考えたことのないことは通訳できない」という身も蓋もない言葉を
思い出す。





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by byogakudo | 2012-03-15 14:22 | 雑録 | Comments(0)


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