2012年 03月 18日

ふたたび/ミシェル・フーコー「わたしは花火師です」読了

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< わたしは身元というものは、わたしたちの社会のうちにある周知の
 種類の権力から生まれる最初の産物の一つだと思っています。わたしは
 たしかに、この社会における法的・政治的・警察的な形式が、[主体を]
 構成するような重要な役割をはたしていることは熟知しています。この
 自己と同一のものとされた主体、固有の個体史をもち、その生成の日付
 と、その連続性をそなえた主体は、古代の法的な形式から現代の警察的
 な形式にいたるまで、わたしたちに働きかける特定の種類の権力の産物
 にすぎず、その効果はこの主体の幼年期から生涯の最後の日にいたる
 まで、長くつづくのだとは思いませんか。
  権力というものを、否定と拒否と排除のメカニズムの総体だと考えて
 はならないことを想起する必要があります。[略]
 権力は個人そのものまで、ほんとうの意味で作りだすのです。個人と
 してのありかたとか、個人の身元というものは、権力の産物なのです。>
(『わたしは花火師です__方法について』p029~030)

 こんなフレーズに会うと、やぶにらみの与太郎はすぐと、バロウズが
「言葉はウィルスだ」と言ってたことを思い出す。
 言葉は細胞がらみに身体にしみ込み、もはやそれなしで、個体は存在
できない。

 しかし、人称なしで考えることができ、文章を綴ることが可能な日本語
でできたあたし、を顧みれば、フーコーって、予想よりずっと感じいい
ひとではあるが、フランス語でできたひとの思考方法を、頭がすっきり
するからって無原則に取り入れていいものかと。
 小出楢重が、ヨーロッパ絵画の当時の新傾向と日本の油絵との関係を
考えながら、「他人の離縁状を使って自分が離婚する」みたようなことを
書いていたが、いま手元にないので正確に引用できない。
 
 哲学系・思想系をまるで読まずに生きてきた与太郎でも面白く読める
のがわかって、次のちくま文庫「フーコー・コレクション」に手を出す。
 
     (ちくま文庫 2008初 J)





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by byogakudo | 2012-03-18 13:19 | 読書ノート | Comments(0)


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