2012年 06月 06日

銀座から築地〜大川へ・追加

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 奥野ビル(銀座アパートメント)306号室での「本郷館展」は、いただいた
説明書によると、「銀座奥野ビル三〇六号室プロジェクト」の一環として
開催されている。

 「銀座奥野ビル三〇六号室プロジェクト」は、時間軸に沿った建築物の
維持を考えるプロジェクトであるようだ。

 かつて306号室にあった「スダ美容室」は、昭和60年代に廃業、
2008年、百歳を迎えた直後に亡くなられるまで、住居として利用
されていた。

 説明書によれば、このプロジェクトは、<三〇六号室を維持しつつ
活用しよう>という非営利活動である。

<「維持」とはいえ、遺跡を保存するというような意味での維持では>
なく、<時間の経過に意図的に介入するのはよそう>という立場に立つので、
三〇六号室利用の際には、<「現状維持・現状の復帰」を遵守すること
もちろん、維持すべき「現状」には時間制が含まれるので、何をもって
「現状」とするか、ということ自体がひとつのテーマ>と、記されている。

 コンセプトとしては理解するが、実際問題として、どうなるだろう?

 建築は作家の作品としてのみ存在するわけではなく、そこに住み、あるいは
仕事場として利用する人々の営みや記憶、無関係な通りすがりの人々に
とっては、風景として在るなど、多面的な存在だ。

 伊東豊雄の「White U」が、持ち主の意志に沿って取り壊されたのは、
個人の記憶の尊重として理解できる。他者としては、もったいなく思っても。

 近代化遺産としての復興建築が、ファサードだけは残したからいいじゃないか、
背後に巨大な超高層ビルをくっつけたって、という姿勢でお茶を濁す風潮の
どこに、建築への愛があるんだと、怒りを覚えるがしかし、建築の作品としての
自立性・不可侵性は、どこまで原則を貫けるものなのか。
 使われてこそ、の建築だ。

 廃墟愛というものもある。建築としての使用価値を失ってからも、ネクロフィリア
の偏愛の対象としても、建築は存在する。

 人体と病いとの関係に頭が跳ぶ。病気とのつき合い方に、「闘病」と、
意味するところは同じであっても「病を養う」態度とがある。
 病いを敵と見なして積極的に闘う近代西洋医学の立場に立つか、
たとえば、がん細胞であったとしても、あまり悪さをしないようであれば
静観して個体の寿命に任せる、東洋的なやり方と。

 「銀座奥野ビル三〇六号室プロジェクト」は、後者の意識に近そうだ。
 時間について考える、面白い試みだと思うが、ビルの一室であるのが
気になる。
 一軒家が少しずつ朽ちてゆく「現状」を「維持」するのは、周囲の
奇異の眼差しを無視すればいいが、ビル全体で配管修理などが行われる
ときは拒むことはできないし、建築に原則性を望み過ぎるな、という
退屈な教訓しか待ち構えていないものなのか。





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by byogakudo | 2012-06-06 14:55 | 雑録 | Comments(0)


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