2012年 07月 05日

鈴木創士氏のコラム/坪内祐三「一九七二」読了

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 鈴木創士氏の今月のコラムは、第28回 六月のメモランダム


 坪内祐三「一九七二 『はじまりのおわり」と『おわりのはじまり』」
読了。
 近代の終りと過飽和な現在が始まる結節点を1972年と見定め、
当時の出版物、特に週刊誌を参照しながら、現代史を綴る。

 連合赤軍「あさま山荘事件」解読は、近代が終わるとき、の解読だ。
 ひとは言葉でできているが、大文字の思考を小文字から成る身体にも
適用できるはずだ信じ込んだ(そう信じたかったのか?)人々の間で
起きてしまった悲劇だ。
 小さなちがいが大きなちがい。肌合いや方向性のちがいを超えて
合同するなら、近接点を求めるしかないが、そこでイニシアティヴの
取り合いが起き、唖然とするような展開を見せる。
 旧日本陸軍的・近代の体質が引き起こした事態なのだろうか。

 1972年はロックがロックとしての輝きを見せていたころでもある
けれど、裸のラリーズや灰野敬二や3/3の名前は出てこない。
 かろうじて村八分が1972年1月9日、京都府立体育館での
オール・ジャパン・ロック・フェスティバルの参加メンバーとして、
麻生レミや井上尭之グループとともに名を連ねる。
 記事の中心は頭脳警察である。

 週刊誌を読み解く作業だから、ラリーズ等は出現しようもないが
(それでもゲッセマネが出てきた)、自分がマイナーな場のさらに
周縁で生きてきたのだと、思う。

     (文春文庫 2006初 帯 J)





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by byogakudo | 2012-07-05 13:37 | 読書ノート | Comments(0)


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