2012年 07月 28日
click to enlarge 「娘と私」でのマリイ・ショウミイの描写を引用。 < 彼女はエレーヌと呼び、中部フランスの小さな町の小学校長の娘 だった。女学校を出てから、ロンドンへ英語の勉強に行き、その 語学の助けで、パリの米国人商社に勤め、自活してるうちに、私と 知り合ったのである。その時、彼女は二十六歳、私は三十を迎えていた。 翌年の冬に、彼女は麻理[注 娘・巴絵の小説中の名前]を妊娠した。 彼女は意志の強い、理性に富んだ、そして極めてジミな女だった。 彼女の情熱は、潜在的で、堅実で、道徳的でもあった。私と結婚前に、 社会主義運動なぞに加わったのは、その一例であった。体は、骨格型の 中肉中背で、容貌も平凡、やや近視である外に、病気を知らず、パリ女 の繊弱さと遠い女だった。>(p200下段) <彼女は読書好きの女の持ち前で、料理が得意でなく、パリでも安飯屋で 外食ばかりしていた。>(p200下段) < 妻は料理下手(べた)ではあったが、裁縫は好きだった。自分のドレス は、パリでつくったものを、いつまでも着ていたが、麻理の服は、一切、 わが手で新調した。フランス婦人雑誌なぞに出てる、子供服の型を、 私にも相談して、あれこれと選び、ミシンの音を立てた。白セルのツー・ ピースで、襟(えり)に細い縁(ふち)取りのように、あり合せの黒い毛皮を 縫い込んだ服なぞは、まず妻の傑作だったろう。その頃の女や子供の洋装 は、非常に幼稚だったから、妻が、その白い服を着た麻理を連れて歩くと、 人が眼をそばだてた。>(p202上段 「そばだてる」原文は漢字表記。) 1951年、娘・麻理が神田のカトリック教会で結婚式を挙げるとき、 <日本の媒酌人役のような、証人夫婦が必要と聞いて、私は、仏文学の 先輩のT博士に、お願いした。T氏は、亡きエレーヌを、知っているし、 麻理を可愛がってくれて、東大の講義が傍聴できるように、計らって くれた人である>(p581下段~p582上段) このT博士は辰野隆だろう。森茉莉はまだ逼塞時代かしら? (日本文學全集 41 獅子文六集 新潮社 1960年 裸本) 今週の新着欄です、よろしく。 新着欄
..... Ads by Excite ........
by byogakudo
| 2012-07-28 13:43
| 森茉莉
|
Comments(0)
|
アバウト
カレンダー
カテゴリ
以前の記事
2024年 03月
2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 more... ■ねこ新聞
■月刊ねこ新聞Twitter ■蟲文庫 ■kissa e(@higashi-koenji) ■往復書簡 ■旅猫雑貨店 路地裏縁側日記 ■海ねこ的 日々の暮し ■森茉莉街道をゆく ■山崎阿弥 ■サイコ☆ヒステリック 徒然日記 ■穴熊 日記 ■だらだら放談 ■鈴木創士 ■安柊有人(@sosi-suzu)・Instagram ■西谷修―Global Studies Laboratory(GSL) の後継ブログ ■nibuya(@cbfn) ■so_kusumori ■楠森總一郎 EROS VERSUS ■hirose tadashi|photographer ■kizashino ■きざし乃 栞 ■do-do ■スローラーナー ■muttnik ■やっぱりモダニズムが好き! ■かめ設計室 ■建築ノ虫 ■ご近所の日々 ■素人魂~特濃魚汁~ ■素人魂@いたちょ ■胡乱亭 ■梟通信~ホンの戯言 ■左平次(@saheiziinokori) ■花も嵐も踏み越えて鉄道人生44年 ■PAPERWALL ブックデザイナー日下潤一の日々 ■daily-sumus3 ■藤原編集室 ■退屈男と本と街 ■古本屋ツアー・イン・ジャパン ■okatakeの日記 ■ギャラリー ときの忘れもの ■ときの忘れもの@twitter ■銀座レトロギャラリーMUSEE ■痩せたり太ったり ■橋場一男 ■Tracy Talk・・・ ■Unknown Pleasures ■メグブログ 美咲歌芽句 ■亜湖公式サイト ■五月真理矢写真館 ■ヒゴヒロシ ■坂本弘道公式サイト ■三信ビル保存プロジェクト ■逗子なぎさホテル ■わき道にそれて純喫茶2 ■アトリエ プティカ 最新のコメント
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||