2012年 10月 14日

町山智浩・柳下毅一郎「ベスト・オブ・映画欠席裁判」読了

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 最近のいつだったか阿佐ヶ谷「書原」の平台で見て欲しいなあと
思っていた文庫版「映画欠席裁判」が、買取で手に入る。うれしい。
ウェストレイクを放り出して、こちらを読む。

 単行本「ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判」が
全部で3巻も出てたって解って、新刊書店に行かなかったツケを目の前に
見せつけられた思いである。尊敬するひとはファビュラス・バーカー・
ボーイズと広言していながら、なんてことだ。

 はなから見捨てられるような映画を自腹を切って見に行き、莫大な
ゴミの山の中から、キラリと光る準宝石とまでも行かない、きれいな
ガラスのかけらを見つけて世に知らしめるオタクの無償性がここにある。
うつくしい。

 立派じゃない洋画の重要さを主に取り上げていた1990年代〜
2000年代だが、21世紀に入ると、日本映画の低脳化の指摘が増える。

 本はひたすら「読みやすい」作風がヒットの条件とされ__しかし
「読みやすい」とは、どんなレヴェルの文章を意味するのか? やっと
平仮名が読めるようになった幼稚園児でも理解できる、というくらい?
小学生か中学生?__、あほらしい新刊本のラッシュに思えるが(そう
感じるから新刊書店が遠くなったのだが、まともな新刊本屋さんだって
まだあることを肝に銘じよう。)、日本映画の方も同じ情況だ。

 余白や間を感じ取り、読み取って理解する・面白がるのではなく、
全情況を説明解説する台詞のやり取り__それを「台詞」と言われても
ねえ__で進行しないと観客はわからないであろうという、手取り足取り
脳みそのバリアフリー化を徹底して、映画が制作されているらしく、
生きているのが辛くなる。客を信頼しないで、誰のために作るんだろう?
架空の視聴率の延長思考で、マスな観客層が仮想されているのか。TVの
コマーシャル攻勢をかけないと、ひとは映画館に行かないと、信じられて
いるのだろうか。
 いくら易きにつくのが動物の本来とはいえ、低脳化の進行にはどこかで
歯止めをかけないとまずいだろう。世の中がつまんなくなる。
 「スローラーナー」作品みたように、愛され続ける映画だってある
ことを忘れちゃいけない。

     (文春文庫 2012初 J)

 同じ方からの本に鳥飼否宇が入っていて、ますますウェストレイクが
忘れられてゆく。





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by byogakudo | 2012-10-14 16:02 | 読書ノート | Comments(0)


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