猫額洞の日々

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2013年 01月 17日

1・17/3・11

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 地球に時間意識があるとしたら、地球に寄生している人類のそれとは
かけ離れたものだろう。
 1995年1月17日の阪神淡路大震災は、地球にとっては(人間側の)
一秒前にもならない過去かもしれないし、2011年3月11日の東日本
大震災は現在に属する時間かもしれない。

 ヒトは忘れっぽいし、辛いできごとは無意識に忘れようとする。忘れた
からって、地球に運動を止めてもらえる訳ではない。
 辛いことであっても、思い出した方がいい。1・17で崩れ落ちた高速道路や、
崩壊して道を占拠したビルの残骸や、一面火の海になった長田地区の映像
などを。
 わたしたちはあのとき死んだのではないか。

 3・11と、翌日のフクシマ。引き延ばされた死が続いている。死ねない死が続く。

 復興? 何もなかったかのような顔をすることではあるまい。勘違いしてはいけない。
 死者を死者たらしめ、生者は屍の上にまだ生きているのだと自覚し、そこからでは
ないか、生き直すのは。

 株価が上がった、一時的に。復興名目の予算は相変わらずの赤字国債、だから
増税しなきゃ。最低賃金を上げずに生活保護費を下げることで消費税増税の言い訳
をする。貧乏人同士を噛み合わせよう。
 生き残った人間が疲れ果て、ともすれば思考麻痺を起こしている状況につけ込む
復興政策。そして「民意の反映」と称する。だって選挙に勝ったのだから。
 原発だって、いまのところ他に地方経済をもり立てる方策がないからと、地方自治体
首長自ら再開を望む。フクシマさえ忘れられる、終りのない人災。

 原発に反対だというと、原発知識の有無で発言資格を問われそうだが、毎日誰かが
被爆しなければ維持管理できず、核燃料廃棄物の処理方法がヒトの時間帯には存在
しないことを知るだけで、それは悪であり、止めるしかない。

 せめて原発を止めることで死者を弔おう。最低の儀礼として。





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by byogakudo | 2013-01-17 11:49 | 雑録 | Comments(0)


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