猫額洞の日々

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2013年 03月 27日

J・G・バラード「クラッシュ」1/2弱

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 苦戦している。
 バラードの序文は大変明快である。

< かつては自分の外側の世界こそが、たといどんなに混乱し、
 不確実であったとしてもあくまでも現実なのであり、精神の内側に
 ある世界は、その夢、希望、野心は幻想と想像の世界を代表して
 いるのだと信じられてきた。だが、わたしには、こうした役割もまた
 逆転してしまったように思える。今や世界に向き合うもっとも賢明で
 効果的な方法は、世界を完全な虚構としてとらえることである__
 あべこべに、最後に残された現実の結接点は我々の頭の中にある。
 夢の潜在内容と顕在内容を区別したフロイトの古典的分析、見かけと
 実体との区別は、今こそ、現実と呼ばれている外部世界に当てはめて
 やらねばならない。>(p10)

< わたし自身は、作家の役割、その寄って立つべき権威と免状は、
 ラジカルに変化してしまったと感じている。ある意味では、もはや作家は
 何もわかっていないのだ。道徳的基盤すらもない。作家は読者に自分の
 頭の中身を差し出し、選択肢と想像上の代替物を提供する。その役割は
 科学者がフィールドワークで、あるいは実験室において、まったく未知の
 分野やテーマに挑戦する際のそれと同じである。さまざまの仮説を作り
 出しては、事実に即して検証することしかできない。>(p11)

< 『クラッシュ』全体を通して、わたしは自動車を単なる性的イメージでは
 なく、今日の社会における人間生活全体のメタファーとして使用している。
 [中略]
 わたしとしてはやはり『クラッシュ』を世界最初のテクノロジーに基づく
 ポルノグラフィーだと考えたい。ある意味で、ポルノ小説とはもっとも
 政治的な形のフィクション、人がお互い同士を一番てっとり早く、容赦なく
 利用し、搾取するやり方について扱う小説だと言うこともできるだろう。>
(p12)

 そして冒頭から衝突事故の詳細が、事故の細部まで写し撮った写真を
連続して見せつけられるように、運転免許がないので実体験していないが、
交通事故の映画を見せられるときのように、延々と続く。まずここで体力不足を
実感させられ、次いで、作者と同名のバラード夫妻の衝突事故と性的エクスタシー
の関連話になる。
 読み進める体力が続くだろうか。

     (創元SF文庫 2008初 J)

追記: Sに聞いたら、ペナルティとして見せられる交通事故の映画は、「ハッ!」
とする瞬間で場面が切り替わるような作りだそうで、バラードの執拗・克明な
描写とは、まるで違うもののようだ。

(3月28日へ続く~)





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by byogakudo | 2013-03-27 14:34 | 読書ノート | Comments(0)


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