猫額洞の日々

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2013年 05月 09日

ダニエル・ファーソン「フランシス・ベイコン 肉塊の孤独」半分ほど

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 半分くらい読んだけれど、飽きちゃった。まだ『12 ジョージ・
ダイアの失われた魂』にも至ってない。せめてそこらまでは
読みたいものだ。

 「肉への慈悲 フランシス・ベイコン」は、当店にしては早く
売れた本で、読む暇がなかった。まだこっちが残っていたから
持ってきたのだが、しまったな、あっちを先に読んでいればと
後悔している。

 「ハリウッド・バビロン」ならぬ「ソーホー・バビロン」で、
ゴシップ趣味というよりは暴露本テイスト。
 露悪的にふるまうのがゲイの美学に適うと、ダニエル・
ファーソンが考えているかどうか知らないが、翻訳がやや
気になる。

 文中のフランシス・ベイコンの口癖が「・・・だわさ」で
締めくくられることが多い。
 実際、親しい間柄ではラフでタフな口調で喋っていた
かもしれないが、必要以上にタフなタッチに訳されている
気味が感じられて、落ち着けない。
 ワイルドな絵描き仲間の空気を出したかったのだろうけれど、
やり過ぎに思える。原文を読んでないのに、勝手なこと言って、
と言われればそれまでの話。

 どだい、評伝は退屈なものだ。人物伝の合間に作品論(或いは
それもどき)をはさみ、人物の死に向かって書き進める。
 偉人伝、または愚人伝。意外なエピソードで読者をちょっと驚かせ
たり、読み終えた時点で馬鹿馬鹿しさのもたらす悲哀感でほろっと
させてみたり。そこらが腕の見せ所となるのが、そもそも退屈の元だ。
 
 英国ホモセクシュアル事情には詳しくなれる。もっと切迫感ある文体
だったら、のめり込んで読んでいたかもしれない。
 「ハリウッド・バビロン」なんて、かなり熱中して読んだ記憶があるの
だけれど。

 事物には常に距離感を持って対処し、自分自身をも揶揄してみせる、
ゆとりあり気なコラムニスト・タッチが合わない、ということかも。

 いや、たんに、気取り方の違いが気に食わないだけかも、と反省する。

     (リブロポート 1995初 帯 J)

<5月12日へ続く>





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by byogakudo | 2013-05-09 13:43 | 読書ノート | Comments(0)


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