2013年 05月 29日

フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」読了

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 ひさしぶりの再読ないし再再読だ。冒頭の夫婦喧嘩のシーンだけ
しっかり記憶していて、後は全部忘れていた。

 フクシマ以後を生きている今、SFはほとんど、ルポルタージュだ。
 世界最終戦争後、放射能の灰が降りしきる地球にいまだ残り住む
人類、滅び去った他の動物への思い、「絆」を強調する体感型宗教の
マーサー教__ヒトが生き延びるには何らかのフィクションが必要だ。
 SFでは他の惑星への移住が可能になっているが、現状はまだなだけ。

 原発事故というカタストロフィは、目下、水で冷やすことでしか対処
できない。毎日、作業員が被爆しながら、冷却その他の作業に従事する。
 これが現実なのに、同じく地震の多い他国にも原発を輸出しようという。
「原子力の平和利用」というスローガン、「経済発展」イデオロギーが
まだ有効なのだと、原理主義的な信仰を強制する。

 日本の今はディックの描く世界より、もっと呪われて悲惨だ。
直視し続けるには辛すぎる事実なので、TVや大新聞はフクシマが
なかったかのように、あったけれど、もう解決済みなのだと言わん
ばかりに、はしゃぐ。原発推進が教義の原理主義に冒されているか、
あるいは原発推進イデオロギーの補完体制にあり、人々の目を
フクシマから逸らさせることに懸命だ。
 フクシマを忘れさせようと確信的に、日々のニュースを選択し、
エンタテインメントを供給する。

 洗脳は頻度や量がものをいう技術だ。個人が、能天気なブログで
現実逃避を図ろうとするのと規模が違い、犯罪性に先天的に盲目だ。
 
     (ハヤカワ文庫SF 1987年16刷 J)





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by byogakudo | 2013-05-29 11:05 | 読書ノート | Comments(0)


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