2013年 07月 23日

ギー・ドゥボール「スペクタクルの社会」を3章まで読む

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 『3 外観における統一性と分割』までは何となくわかる
フレーズが多い。もっとも、ヨタロー読みなので、たとえば
『1 完成した分離 17』など、ブランドもので全身武装した
若い女の姿を思い浮かべて読むことになるのだが。

<社会生活に対する経済の支配の第一段階は、あらゆる
 人間的現実の定義を存在(etre)から所有(avoir)へと
 明らかに堕落させてしまった。蓄積された経済的成果が社会
 生活を完全に占有してしまった現在の段階は、所有(avoir)
 から外観(paraitre)への全面的地すべりが行われている段階だ。
 そこでは、あらゆる実質的「所有」が、己の即時的威光と最終的
 機能を「外観」から汲み取らねばならない。同時に、あらゆる
 個人的現実は社会的なものとなり、社会権力に直接依存し、それに
 よって作り上げられることになる。個人的現実は、存在しない
 という限りにおいてのみ姿を現すことが許される。>(p020)

 現代思想用語の基礎知識がなく、女に形而上学はないと言われ続け
__これは、そうだなあと自覚しているが__ほとんど小説だけ読んで
きた奴が連想を働かせながら読んで行く。

 ヤマカン屋としては悪くないと思っているけれど、カンを働かせるだけの
蓄積(?)のない項目を目にすると、ヤマカン機能も一時停止する。
 『4 主体と表象としてのプロレタリアート』に至って、マルクスを読んで
ない弱みに足を引っ張られた。
 わからないところは飛ばして行けばいいんだけれど。後から読み直したら
わかるかもしれないし。

     (ちくま学芸文庫 2013年5刷 J)





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by byogakudo | 2013-07-23 12:33 | 読書ノート | Comments(0)


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