猫額洞の日々

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2013年 10月 12日

ギャビン・ライアル「深夜プラス1」読了

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 「冒険小説は男性のためのハーレクィン・ロマンス」説は撤回
しないけれど、これは好きだ!
 どうして誰も、キャフェ・ドゥ・マゴのシーンから始まるんだよと
教えてくれなかったの...。
 HPBの打ち込み時、チェックしようと頁を繰りながら冒頭を読んで
しまった。春先のパリ、主人公が雨がやむまでドゥ・マゴに坐っていたら、
電話口に呼び出される。しかも、第二次大戦中レジスタンスに加わって
いたときのコードネイムで。

 店頭の均一台に100円で出していた文庫版「深夜プラス1」がある
ので持ち帰って読んだ。冒険小説だ、ミステリだ、だののジャンル分けと
関係なく、いい小説だった。
 ひとは過去を捨てられない。冷戦化の平和に慣れた1960年代半ば、
主人公も他の人々も戦時の記憶は薄れたと思っていても、暴力に
晒された途端、レジスタンス時代の肉体反応が出現する。あのときと
同じように、敵の意図を考え、裏を読み、先に手を打とうと行動する。

 大金持ちをリヒテンシュタインまで無事に送り届けることを請負った
主人公や、関わる人々の背景が無理なくストーリー中に入り込み、
対ナチ・レジスタンス活動の再現のような物語が、なめらかに静かに
語られる。
 じつはギャビン・ライアルがイギリスの作家だとも知らず、アメリカ人の
アクション作家だろうと思って、それも敬遠していた理由だ。イギリスの
作家は、ドタバタものならともかく、3行措きにヒューマーと称される冗談を
強迫観念的に入れたりせず、はしゃがないので救われる。

 主人公がレジスタンス時代のかつての恋人に助けを求めたとき、彼女は
彼や彼女の死んだ夫が、鎧兜に身を固めた騎士のようだ、という。
< 「[略]いつも次の竜を探し求めている。いつまでも__最後の竜が
 出て来るまで。[以下略]」>(p188)

 剣とマントの物語であるが、わたしが敵視する「ゼンダ城の虜」と違い、
主人公の自己肯定に反感を持たずに読める。

 前にも書いたけれど「ゼンダ城の虜」の騎士道ぶりには辛いものがある。
新興ブルジョアジーの成り上がりコンプレックス故の騎士道精神謳歌が
鼻持ちならなくって。
 好きな物語である「小公女」にも同じ、成り上がりコンプレックスがある。
二作は10年くらいの差はあるがほぼ同時代の出版物だ。「小公女」は
アメリカ人で女性作家のせいもあるだろうけれど、セアラがいちいち、私は
公女様なんだからと自分に言い聞かせて鼓舞するのが、かなりうるさい。
年齢に関係なく、女が何かを成し遂げようとするとき、権力志向的になる
のは避けられないのか。
 抑制されていない他人のナルシシズムやヒロイズムはいつも悪臭を放つ。
気をつけなくっちゃ。わたしは誰かれにとっての他人だ。

 「深夜プラス1」の主人公のヒロイズムやナルシシズムは自意識的によく
コントロールされているので、読者は安心して彼の語る物語に参加できる。
 彼と行動をともにするアルコール中毒のアメリカ人ガンマンの描き方や、
中毒を治してやりたいと願う、若い英国上流階級の女性との会話がいい。

< 「たいへんな仕事だよ__たとえ彼がきみのいうことに従うとしても」
  「私の言うことをきいてもらうのは不可能だと思います。でも、私があの
 人について行くことはできるわ。[略]」
  [中略]ただ、あと一つだけ言っておくことがあった。「彼は飲むからあの
 ような男なのだ。飲むのをやめたらまるっきり違った人間になる。その
 違った人間が場合によっては好きになれないかもしれないよ」
  「わかっています。その可能性は承知してるわ」>(p318)

     (ハヤカワ文庫 1997年31刷 J)


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by byogakudo | 2013-10-12 13:17 | 読書ノート | Comments(0)


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