猫額洞の日々

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2013年 10月 16日

小野幸恵「焼け跡の『白鳥の湖』」半分弱

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 副題が「島田廣が駆け抜けた戦後日本バレエ史」であるが、やっと
戦後に入ったところまで読んだ。島田廣を主演者とする「戦前戦中
戦後・日本バレエ史」、の趣きである。

 『1章 青年バレエに出逢う』の石井漠の件りで、石井漠がローシー・
オペラから浅草オペラに移った後、

<ドイツに留学してノイエタンツ(新舞踊)を学び、帰国してからは、
 東京の自由が丘に稽古場を開いてモダンダンスを広めた。当時の
 日本では、バレエもモダンダンスも洋舞として扱われていて、モダン
 ダンスの方がポピュラーだったのだ。>(p36)とある。

 ヒロインがモダンダンスのパフォーマーと浮気してみるのは、荷風の
何だっただろう? 「つゆのあとさき」? 「おかめ笹」? どっちか
だと思うが。

 『3章 ママと呼ばれた服部智恵子』に戦時下の様子が描かれている。

< 法律で禁じられたわけではないが、自然発生的に敵性語が排除される
 傾向にあった。それまで英語の授業があった学校でも、アルファベット順
 だった学籍簿が五十音順に変えられたり、英語やフランス語が敵性語と
 して随意科目となった。
  一方では妙な日本語も生まれている。バレエに限っていえば、その用語は
 フランス語であるが、「パ・デ・シャ」は「猫跳び」、「ザン・ネール」は
 「クルクルポン」、「グラン・ジュテ」は「はすかいトンボ」という具合だ。
  踊るにもタイツではなくモンペで踊れという。ナンセンスなこと極まりない
 話であるが、ついに世の中はバレエどころではない時代になってしまった
 のである。>(p95~96)
 
「法律で禁じられたわけではないが、自然発生的に」強制装置にスィッチが
入るのは、日本の伝統とでも言うべきメンタリティなのかしら。やれやれ。

 東京が空爆されていた1945年、服部智恵子と島田廣はそれでも毎日、
駒込から永福町の伊藤道郎の稽古場まで歩いて通った。レッスンを続ける
ために。線路脇に焼死体が並ぶ線路伝いに4時間近くかけて。(p105~107)

 『4章 戦争とバレエ』に戦後すぐの稽古場の話が出てくる。
 1945年暮れ、
<伊藤道郎から引き継いだ永福町の教会がついに借りられなくなって
 しまった。ようやくのことで杉並にある大宮八幡神社の神楽殿を使う
 ことが許され、寒風が吹き曝(さら)すなかで震えながら稽古を続けた。>
(p112)

 この話はバレエの方のK・K夫人から伺ったことがある。著者はいろいろな
資料に当たり、関係者に話を聞いてこのノンフィクション__「ノンフィク
ション」って変な言葉だ。言葉で書かれたものがフィクショナルでないなんて、
あり得ないのだが流通している。__を書いたのだが、なぜ最古参の弟子で
あるK・K夫人には聞きに行かなかったのだろう。

     (文藝春秋 2013初 帯 J)

(10月19日に続く〜)





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by byogakudo | 2013-10-16 13:51 | 読書ノート | Comments(0)


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