2013年 10月 19日

小野幸恵「焼け跡の『白鳥の湖』 島田廣が駆け抜けた戦後日本バレエ史」読了

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(〜10月16日より続く)

 戦争が終わった。やっと再び、音楽を流しながらバレエのレッスンが
できる時代になった。戦時中はレコードをかけない、ピアノ伴奏しない
という条件でしか稽古場が借りられず、無音で黙々とレッスンしていた。
 しかし今度は、一面の焼け野原だ。住むところがない。まして稽古場に
使えるような場所なぞ、更にない。
 K・K夫人の記憶では、ボクシングの練習場みたいなところでも稽古した。
 「ほら、ボールか何か吊るしてあるでしょ。あれを叩いて遊んだのよ」

 戦中を耐えてバレエを続けてきた様々なバレエ団が、必死で稽古場と
仕事先を探していたとき、ドイツでモダンダンスを学び、戦後帰国して
きた邦正美が、本格的なクラシックバレエ公演を行うという「東京新聞」
の記事が出た。「火の鳥」や「白鳥湖」の本格的な上演企画である。

 島田廣は蘆原英了宅へ向う。
< 「邦に先を越されたくないという気持ちだった。戦時中、我々がどんな
 苦労をしながらバレエを続けてきたか、それがわかる者同士でやらなく
 てはならないと思いましたね」>(p132)

 葦原英了を代表に立て、東宝と交渉してもらい、別々に行動してきた
各バレエ団がともかくも大同団結して結成された「東京バレエ団」に
よる「白鳥の湖」公演が、この本の山場であろう。

 結成前も本番中も公演後も、トラブル続出であるが、お嬢さん方の
お稽古事視されてきたバレエが、本格的、プロフェッショナルな芸術
として確立された出来事だった。

 優しく華やかでうつくしい舞台に感激した観客たちの声が紹介される。
肉体だけでない精神の飢えが満たされた瞬間への感謝が、口をつく。
 バレエではないが、山田風太郎が敗戦後、荷風の「踊り子」だったかを
読んで、乾いた喉に水が与えられたような感動を覚えた、という。
 なんとか生き延び、肉体の飢えを満たすに汲々たる日々、精神もまた
飢えていたことに人々は気づく。

 「東京バレエ団」前後の章は戦後の勢いが伝わり、スリリングで
感動的な場面ではあるが、「プロジェクトX」を思い出したり、
東日本大震災以後の「がんばろうニッポン」キャンペーンを
思い出したりもする。
 著者の善意や誠意は感じるけれど、いまいちノレなくなるのは、評伝
(やノンフィクション)が結局、偉人伝に終わりやすいシステムである
ことと関係していよう。

 島田廣はその後、創作バレエの道を進み、日本にバレエを定着させた
第一人者となるが、一般にはあまり知られていない。島田廣の業績を
正しく伝えたい、顕彰したい思いから書かれた評伝であり、同時に、
見通しのいい日本のバレエ・通史である。

 やや違和感を覚えるのは、「自虐史観」の反対語といっていいのか、
「プロジェクトX」史観のせいかもしれない。(だから「ノンフィクション」
は存在しない。)

 今でいう在日コリアンの陸上少年がやがて文学や演劇に目覚め、
バレエに自分の進むべき道を見いだし、成就する。
 感動の物語であるけれども、やや健康的・肯定的側面が強く、
たとえばアーティスト・エゴの問題にあまり触れられていなかったり
するのが物足りなさの理由でもあろう。「東京バレエ団」のあっと
いう間の分裂も、各アーティストのエゴを越えて協同することが
できなかったからだ。

 個人の欠点をあげつらった暴露本を読みたいのではない。影の部分も
調べた上で(それを秘めて)書かれていたら、と思うのだ。新聞記者の
心得に「十を聞いて一を書く」とあるそうだが、氷山の下は深く大きい。

 また、細かいことだが、K・K夫人によれば、本文中の写真キャプションが
違っている箇所があるそうだ。高齢の島田廣に紙碑を捧げるために急いで
書く必要があったので、チェック漏れしたのかもしれない。

     (文藝春秋 2013初 帯 J) 


 今週の新着欄はお休みです。





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by byogakudo | 2013-10-19 10:58 | 読書ノート | Comments(0)


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