2013年 11月 19日

ロバート・バーナード「芝居がかった死」読了

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(~一部、11月17日の続き)

 忘れないうちに書いておこう。おとといの角川文庫版「グレイト・
ギャツビー」は、「夢淡き青春__グレート・ギャツビイ」でした。
 「日本の古本屋」サイトで<フィッツジェラルド 角川文庫>と
打ち込んだら出てきた。

 コレット「シェリ」は「黄昏の薔薇」だし、アラン・フルニエ
「ル・グラン・モーヌ」は「さすらいの青春」が頭についている。
 ある時期の角川文庫の翻訳タイトルと、外国映画、というより
洋画(先進的で学ぶべき、かつ憧れの対象であった欧米映画、
のニュアンスがある)と呼ばれていた時代の映画タイトル・センス
には似たものがある。
 「七月十四日」を「巴里祭」にするような、憧れをかきたて、
情感に訴える手法だ。この方が伝わりやすい時代だった。

 日本は遅れている(何に?)から、追いつき追い越そうと明治期の
鹿鳴館精神がずっと続く。そしてバブル経済とその崩壊後の、長い
抑圧と幻滅の今に至り、新治安維持法で国家再建するつもりらしい。
 その手はもうとっくに無効とわかっているのに。後でもう一度、
「過ちは繰り返しません」とか言いたいのか。
 まあ、ナチのやり口はよく学習したようで、2・26と異なりメディア
管理も同時に粛々と行い、かなり万全の体勢ではある。総選挙で
ひっくり返すしか対抗手段はないかしら。

 床屋政談はさておき、ハロルド・Q・マスル「にがみばしった殺人者」の
途中で、ロバート・バーナード「芝居がかった死」を読んだ。
 原作は1988年だそうだが、イギリスでは80年代末期になってもクリスティ・
タイプのミステリが成立できるのがすごい。

 海を臨む旧司祭館に住む作家とその息子一家の元に、作家が認知して
いない娘が訪ねてくる。作家と女優の間に生まれた娘で、女優の母から
虐待を受けて育ち、いまだ見ぬ父に愛と尊敬を抱いている。実際、優れた
作家らしい。女優もいまやデイムの称号を持つ大女優である。彼の方は
認知症で寝ついてしまったが、かつて若い女優の卵だった彼女は堂々たる
存在だ。

 私生活はめちゃくちゃな偉大な作家や女優の子どもによくあるが、親を
反面教師にして、子どもたちは地道なミドルクラス・タイプである。
 60年代に生まれた娘は、結婚していない男友だちと一緒にやってくる
ような、さばけ方だが、彼女もいずれ落ち着いた生活に入るだろうと
思わせる。

 母の評伝を書きたいから父の手紙を読みたいという娘の本当の狙いは、
母への復讐だ。女優としては認めているけれど、私生活の無茶苦茶さに
苦しめられてきたことに一矢報いたい。
 それを知った母が阻止しようと現われるが、宿屋で殺される。娘が殺したと
疑われ...。

 地味に話が進むが退屈しない。女優と娘の両方に関わるはめになった作家の
息子夫婦の、どちらにも加担せず、なんとか穏便にすませたいと願う、ミドル
クラス的感情の動きなど、無理がない。
 読み終わって、穏やかで堅実なミドルクラスの食器戸棚には骸骨がいっぱい
隠されていて、それは読者であるあなたにも当てはまるのじゃないですか、と
暗に作者から言われてる気になるのが、なかなかなところだ。

     (HPB 1990初 帯 VJ無)





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by byogakudo | 2013-11-19 10:27 | 読書ノート | Comments(0)


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