猫額洞の日々

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2013年 12月 11日

鹿島茂「クロワッサンとベレー帽 ふらんすモノ語り」読了

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 昨日は森茉莉に関連した箇所だけ引用したが、他にも好きな
エッセイがある。『第二章 遠い昔と近い昔 Jadis et Naguere』
の『南米のプチ・パリ』だ。
 適宜、省略しながら引用。

<フランス移民の多かったブエノスアイレスやモンテビデオには
 「プチ・パリ」的な街があるはずだ。
  なぜかというと、フランス人は、植民地を得ると、なによりも先に、
 パリに似せた町並みを作り、そこを自分たちの心のよりどころにした
 といわれるからである。
  私が行ってみたいと思っているのは、十九世紀の後半に、スペイン人
 に代わって南米に植民に出掛けたフランス人たちがアルゼンチンや
 ウルグアイに築いたといわれるこうした「プチ・パリ」である。
  プチ・パリは、十九世紀の現実のパリの再現であると同時に、イマジ
 ネールなパリの実体化でもあるのだ。十九世紀にフランス人植民者に
 よって築かれたブエノスアイレスやモンテビデオには、過去のパリが
 あるばかりか、想像上のパリさえ存在しているはずだ。
  おそらく、そこには、摩訶不思議なパリのレプリカがたくさんあるだろう。
  十九世紀末、パリには、奇抜な趣向のメゾン・クローズ、すなわち高級
 娼館(しょうかん)が何軒かあったが、そのうちの有名店、122(ワン・トゥー・
 トゥー)やスファンクスといった店は、パリでの成功があきらかになると、
 さっそくアルゼンチンのブエノスアイレスに第二号店を開店した。南米から
 パリにやってくる観光客を一番喜ばせたのが、これらのメゾン・クローズで、
 彼らは故郷に帰ってからも、同趣向の店を欲しがったからである。これらの
 支店がパリの本店の戯画のようなものになったことは容易に想像できる。
  このメゾン・クローズの例はいかにも示唆的ではなかろうか。プチ・パリ
 には、植民者がかくあらまほしと願ったようなかたちの「パリ」が建設された
 にちがいない。私は、この二重に歪んだまがい物のパリが見てみたい。そして、
 フランス人植民者たちの「夢」のあとを追ってみたいのである。>
(p205~207)

 同じ『第二章』の『パリの<スー紅屋>』も、モノと記憶と想像力の話である。

 幼い頃、鹿島茂の祖母が古い小間物(今なら「雑貨」というべきか?)を
出して、「昔、元町の<すーべにや>で買った」と言っていた。
 茂少年はずっと<スー紅>という紅を売る店と思いこんでいたが、高校生
のとき、souvenirだと気づく。そして大学生になり、se souvenir deという
かたちで「思いだす、記憶する」という動詞の意味があることを知る。

 後の展開もきれいである。パサージュ・ジュフロワに初めて入ったとき、
<昔、横浜の元町にあったはずの<スー紅屋>から、パサージュ・ジュフロワ
 という時間隧道(タイム・トンネル)を通って、わが心のアルカディアに到達
 したらしい。>(p161~166)

 モノはなんでもいい。言葉として状況ごと記憶され、ある日、モノと記憶の
混合物が存在する現場に立っていることに気がつく。生きているってこと、
なのかしら。

     (中公文庫 2007初 J)





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by byogakudo | 2013-12-11 13:47 | 読書ノート | Comments(0)


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