猫額洞の日々

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2013年 12月 17日

森本哲郎「懐かしい『東京』を歩く」読了

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(~12月1日の続き)

 先週には読み終わっていた森本哲郎「懐かしい『東京』を歩く」である。
身近な地名がたくさん出てきて、それは興味深いのだが、書きっぷりが
こちらの好みとズレているので、どうもウズウズ(?)する。

 古典や古い本からの引用と想起、実際の散歩と、文句のつけようがない
構成である。格調高く、品もよろしくって__森本哲郎は明治の文明開化
以来、日本の空を汚し続ける電線を否定する。江戸から東京への移行を
指し示す日本橋の上に高速道路を通す野蛮な行為を否定する。この本が
書かれた後だが、たとえば中央郵便局の破壊にも怒りと悲しみを覚える
ひとであろう。

 いちいちごもっとも、であり、わたしにしても殺され続ける東京を嘆いて
いるのだけれども、である。ジャンクなものへの愛や感受性がないひと
ではないかしら。
 整ったヨーロッパ的町並みのうつくしさや、幕末の写真に見る、江戸の
町の低く整えられた瓦屋根のスカイライン、などに美を感じ、アジア的
とされる混沌のごちゃまぜ都市・東京には美を感じにくいひとではないか、
という感想だ。まあ、こちらが汚れたモルタル壁のしみや、トタンで応急
処置されたまま恒常化された風景に感情移入しているだけの話であるが。

 身近な地名、ということでは、川島商店街が出てくる『中野・川島町』だ。
中学生の孫と永福町から新宿行きのバスに乗り、南台で下りる。
 旧東京高等学校(現・東大附属中学校)の塀ぎわまで歩き、停留場の
木のベンチに腰をおろして(注:ベンチはとっくになくなっている。)昭和
7年発行の「中野」区分図をひろげる。

 昭和7年(1932年)、森本哲郎は7歳、中野区前原町(まえばらちょう)
34番地に住んでいた。
<家を出てほんの少し行くと、もう野原であり、氷川神社の杜がこんもりと
 繁り、その先はまた野で、埃っぽい狭い道が一筋、雑木林へ続いている>
60年前(1990年代現在から遡って)の町の記憶を求める。
<「[略]家並みも、町の名前も、野原も、林も、お地蔵さまも、みーんな
 なくなっちゃった」>場所で、市場(いちば)にお使いに行かされた川島町を
探す。今の地図では「南台」と「弥生(やよい)町」に二分されているだけだ。

<[略]記憶をたどりながら「川島町」の市場へ向った。狭い道だけは、昔の
 ままだった。中野駅へ行く道をしばらく行き、ゆるいカーブに沿って、その
 先の四辻を右に折れたとたん、ぼくは思わず、あっ! と言った。なんと昔の
 銭湯(せんとう)が、昔のまま、小さな城のように生き残っていたのだ。
  「川中湯」とある。ぼくの子供のころは「川島湯」だったような気がするが......。
 (注:今は銭湯はなくなり、集合住宅になっている。)
 [中略]
  むろん、その横に、昔ながらの市場なぞあるわけもない。が、あの懐かしい
 市場は、鉄筋四階建てのビルになって、「川島ストア」に生れかわっていた!
 ぼくはついに「母型(マトリックス)」へ回帰することができたのだ。その一階は
 「魚勝」という魚屋で、景気のいい呼び声が響いている。(注:「魚勝」も今は
 ない。とんかつの「サボテン」である。)ぼくは、しばし、幻(まぼろし)の巷(ちまた)
 に立つ思いだった。
  たしかに風景は変った。道は色のついたレンガできれいに鋪装され、通り全体が
 バザールのように賑わっている(注:1990年頃の話である。)。みな、戦後に
 新しくつくられた店なのだろう。「サン・エトワール」などというクロワッサンの店が
 あるかと思うと(注:閉店した。)、そのそばに「大正八年創業」と書いた「麺(めん)類
 専門店」が江戸風の店構えを誇っており、おなじように昔風のつくりの米穀店も見える
 (注:この2店は健在。)。そして、頭の上には「エコロジータウン川島」と、赤地に大書
 した横断幕が、ようやく、長くなった早春の夕暮れの日ざしを受けて、かすかにゆれて
 いる。町名こそなくなったが、「川島通り」は、したたかに生き残っていたのである!>
(p136~137)

 東京はすぐ変ってしまうから、東京について書くときは日付が大事であると本文中に
あった。これは雑誌か何かの連載らしいが、単行本の刊行年しか記されてないのが
残念である。

     (PHP文庫 2005初 J)





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by byogakudo | 2013-12-17 13:06 | 読書ノート | Comments(2)
Commented by saheizi-inokori at 2013-12-18 21:01
秋葉原、あきばっぱらのママでは今の珍妙な景色はありえない。
ラジオ街だったかが無くなるのはさびしいです。
Commented by byogakudo at 2013-12-19 11:15
先だって汐留に行き、新建材ででっち上げられたイタリア風界隈に
悲惨な思いを抱きました。込められた想いが建材の粗末さを越えた
のが、木造モルタルでパリ小路を出現させた中野駅北口の一郭、
でしょう。このところ行ってないので、変ってしまったかもしれませんが。


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