猫額洞の日々

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2014年 03月 11日

S・T・ヘイモン「聖堂の殺人」読了

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 S・T・ヘイモンのSはSylvia、Tはわからない、ヘイモンは
Haymon。「聖堂の殺人」はイングランドのノーフォークが
舞台で、と書いても地理にも弱くて、イメージが浮かばない。

 ともかく、古い立派な聖堂のある街が舞台で、聖堂の落書き
事件に端を発し、12世紀に起きた殺人事件とそっくり同じ殺人
事件が発生する。オリジナル(?)の殺人事件は、少年が殺された
のだが、局部が切り取られ、全身の血が抜かれ、胸から腹にかけて
「ダビデの星」が刻みつけられていた、というもの。犯人はユダヤ人
だと決めつけられ、人種間の抗争がその後に続く。

 今回も似たような展開を示すが、20世紀も終わりかけているので、
人種問題だけでなく、薬物や児童虐待の連鎖や諸々がつけ加わる。
 穏やかな街に起きた血なまぐさい酸鼻な事件と、巻きこまれた人々を
描くタッチはイギリス的に皮肉だが、なんだか無理にクールにふるまって
見せてるように感じるのは、こちらが気弱な日本人だからだろうか。

 主人公の警部が気にかけている、トレーラー暮らしの母と息子を例に
とると、彼らは街の騒動のしわ寄せを受けて襲撃される。知恵おくれの
母親は強姦され精神病院に収容されるが、彼女から引き離され、施設に
保護された息子は、そのおかげで文字が読めるようになる。
 淡々と記されるが、それが効果的でもあり、でもなんだか冷静で公平な
タッチを作者が自身に強いているような感じも受けて、どうも落ち着けない。
気のせいなのだろうか?

 ジョイス・ポーターのドーヴァー・シリーズなどを思い出すと、イギリス人って
かなりエグいことを平然と述べられる体質にも思えるから、S・T・ヘイモンに
しても、別にセンセーショナルな効果を狙っているのではないのかもしれないが、
この居心地の悪さはなんだろう。曾野綾子のエッセイに見られる(彼女の小説は
読んだことがなく、週刊誌でエッセイを読んだだけだが)自助努力の強制めいた
鬱陶しさとは断然別ものではあるが、女性作家が、ヒューマニズムが陥りやすい
センチメンタリズムを拒否しようとすると、つい身ぶりが大きくなる傾向にある、
とわたしが感じてしまうのは、わたしの中に女性差別意識があることの証明なの
かしら...。なんだか、わからなくなってきた。

     (HPB 1985初 帯 VJ無)





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by byogakudo | 2014-03-11 17:53 | 読書ノート | Comments(0)


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