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猫額洞の日々

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2014年 04月 06日

こわれる

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 ふたりとも、あまりモノをなくしたり(Sはよく見失い、わりとすぐ見つける)、
こわしたりしないのに、一昨日、Sが数年使っていた(?)陶器の小皿を落として
割り、今朝はわたしが20年くらい(?)愛用していた緑色のグラスを落っことして
割ってしまった。昨日のブログに写真を載せた、あのグラスである。

 モノも生き物もいずれ失われると決まっているが、やはりかなしい。こわれた
ふたつのモノは、それぞれの形代としてこわれたのか、という気も少しするが、
春先で気分がわさわさしていることの反映とも考えられる。あるいは__

 3・11の直前、乗っていた地下鉄から立ち上がったとき、Sがカメラを落とし、
レンズ・フィルターが割れた。なんとなく気持ちが上がらない日で、ぼんやり
路地を歩き、ゴミ捨て場を見つけてレンズ・フィルターを捨て、さらに歩き、
小公園で休もうとしたとき地面が揺れた。

 最初はわからなかった、大きな音が何なのか。本能的に公園の柵につかまり、
身体を支え、揺れが終わるのを待つ。ビルから大勢のひとが出てきて、揺れる
ビルを見上げる。その間も車やトラックがスピードを緩めずに通り過ぎる。

 ショックがひどいと思考力が低下する。それから1時間以上も、大川近くで
うろうろしていた。ビルから出てきた人々が道にあふれ歩き出している様子を
目にしながら、帰宅を急いでいるのだ、ということがわからない。

 そうだ、ヤケっぱちな気分にもなった。地下鉄が動かなくなることも予測せず、
地下鉄近くのドトールで休憩しているとき、大きな余震があったのに、どうでも
いいやと思って屋外に出なかった。茫然自失とヤケっぱちは同じ根を持つ。
 3・11後の数日間、夜になると大きな余震があった。10時半から11時頃か。
大抵お風呂に入っているときで、裸で死んでたって、いいやとばかり、湯船から
出る気にもならなかった。

 3・11の4時頃(?)になって、ようやく、せめて銀座方面まで移動しようと、
月島から三宅坂までバスに乗った。ぎゅう詰めのバスの中で必死に喋っていた
若いふたりの女性がいたことを思い出す。

 隣に立っていたので、いやでも話が耳に入る。たしかふたりとも帰国生徒で、
顔は知っていたけれど話をしたことはない。彼女たちは大地震の直前、会合に
出ていて、そこから岐路を同じくした、というのだったかしら。
 携帯が通じないので、彼女たちの友人の母親がヨルダンかレバノン経由で
電話してきて連絡がついた、とかいった話もしていたと思う。パニックを押さえ
込もうと、ほとんど息継ぎのひまもなしに喋っていた。

 思い出して書いていると改めて怖くなる。それでも原発を続けたいという人々が
わからない。





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by byogakudo | 2014-04-06 11:04 | 雑録 | Comments(0)


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