猫額洞の日々

byogakudo.exblog.jp
ブログトップ
2014年 04月 24日

ジルベール・タニュジ「赤い運河」読了

e0030187_2191469.jpg












 フランスのミステリと英米ミステリの差異は、英米のそれは
曲がりなりにも、つまり机上の論理の展開に過ぎなくても、
論理的な整合性を忘れないが、フランスものはあまりそこらに
こだわっていないように見えることだ。あのエピソードの顛末は
どうなったのだろうと、ふと思い出すようなことは、英米ミステリ
では起こり得ない。穴はきっちり塞がれている。

 ところがフランスのミステリと来ると、小さな穴はもちろん、大穴
だって開いているのではないか。英米ミステリほどフランスものは
読んでいないが(英米ミステリだって、お粗末な読書量だけれど)、
そう感じる。もしかして、' 論理性 ' に対する認識が違うのかしら?

 ストーリー全体が問題であって、些末な(と、作者は思うのであろう)
見落とし(と、不注意な読者であるわたしにすら思える)なぞ気にしない
剛胆さが、フランス・ミステリの持ち味でさえある、と言ってしまうのは
もちろん言い過ぎだ。

 1970年前後のアムステルダムに集うヒッピーのカップルが殺される。
殺し方がナチの人体実験とそっくりで、逃げ延びた戦争犯罪者である
医師がまだ生存していることをCIAに確信させる。「赤い運河」という
タイトルは、紅灯の巷であるアムステルダムと、運河に投げ込まれた
血塗られた死体のふたつが掛けられているのだろう。
 医師を逮捕できれば、生存説がささやかれるボルマンとナチの掠奪
遺産にも捜査の手が伸ばせる。
 CIAはアムステルダムに集結し、秘かに大捕物の網が張り巡らされる...。

 アムステルダム観光ガイドみたような記述の合間に、時代の徒花である
ヒッピーたちの情景がさし挟まれ、医師の逮捕に備えるCIA職員たちの
焦燥感が記される。文体の混淆が面白く読めた。スタイルが問題であって、
ここに英米ミステリ風の論理性を持ち出しても意味がない。

 これがわりと気にいって、一冊しか読んでないポール・アルテが駄目だと
いうのは、我ながら非論理(?!)的だけれど、アルテの場合、まだスタイル
とまで行ってないように、たしか思ったのだった。もう一冊くらい、アルテも
読んでから言うべきだが。

     (HPB 1973初 帯 VJ無)





..... Ads by Excite ........
[PR]

by byogakudo | 2014-04-24 21:08 | 読書ノート | Comments(0)


<< 鈴木創士「文楽かんげき日誌 第...      ジョン・ラッツ「稲妻に乗れ」読... >>