2014年 07月 23日

ギルバート・アデア「作者の死」読了

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~07月22日の続き

 ああ、よかった。構造主義的な、または新批評的な姿勢というのか、
ポストモダーン小説的なというのか、ともかくその種の書き方の都合上、
感動したり感激したりはしないけれど、面白く読んで読み終わった。
 たんにこれ見よがしだと、しらけるでしょ?! 堂々とこれ見よがし
なので苛々しない。巧く書かれていながら、厭味じゃない。

 第二次大戦中に青年期を過ごしたフランス人が主人公だ。作家・
批評家になろうという意志と才能のある、若い男だったが、彼には
対独協力の過去がある。戦後のフランスで知識人として存在する
道は閉ざされた。
 彼は過去を隠してアメリカに渡り、生き直そうとする。書店の店員
から始まり、書いたものが認められて大学に招かれ、少しずつ評価が
上がり、遂には新批評の権威としてアメリカ文学界に君臨してしまう。
 アラモードな、ファッショナブルな新思考の文芸批評家として有名に
なったことは、彼が怖れていた過去の汚点にスポットライトが当たる
可能性も高まることだ。
 伝記を書きたいという女子大生が彼の前に登場してきたとき、彼は
自分の文学理論を援用して、若書きとはいえ彼が書いたことには
違いない、ナチズム擁護のテクスト及び作者である彼自身を救おう
と試みる。

 ストーリーとして要約すればそんな話。ところで、個人性を忌避する
のが脱構築理論なので(ということにしてください、よく知らないけど)、
文体がもろそれ、である。

 作者(物語の話者/主人公)が女学生の襲撃を受けショックを抱えて、
<私はアップル・マックのスイッチを入れた。新しいファイルを開き、
 それにヘルメスというパスワードを与え、なにも映っていない白い
 画面をじっと眺めながら、[中略]
 ちょうどあなたの読んだ五ページ分の文章を打った。>(p5)

 この段落がp45、p108、と繰り返される。コンピュータで書く
ときのコピー&ペースト機能がそのまま、ポストモダーン小説の
文体として使用される。

 モデルとなったポール・ド・マンについては知らなかったが、別に
それで読むのに不自由しない。


 話がそれる。新しい思想や思考方法は、発表されたときは一般の理解を
越えて、ひどく抽象的な思考に感じられたりするが、やがてそれは時代と
社会に浸透し、ふだんの実感的思想や思考になる。

 それにともなって劣化ももちろん起こり、ワタミ会長・渡邉美樹が、
社員の過労死自死について悔やみの言葉を述べた直後に、彼女の遺志を
継いで仕事を続けますだったか、無茶苦茶な文脈でツイッターに書いて
いたとか新聞で読んだが、これもフランス現代思想や脱構築理論の浸透・
消費の成れの果て現象と言ってよいのかしら?

 近年の日本の政治家たち、小泉純一郎とか安倍晋三とか、その他大勢、
無理を道理にくっつける思考/文体で生存を続ける輩が多すぎるのは、
個人性をできるだけ拭って思考しようとする現代思想の方法論だけパクって
__このやり口もまた、明治維新・文明開化以来の近代日本の伝統藝だ。
近代をなし崩しに終わったことにしたら、ポストモダーンが自動的に発生する
ってんでしょ?__責任を回避しようとする思惑が社会全体に浸透した現れ
のひとつだろうか?

     (早川書房 1993初 J)





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by byogakudo | 2014-07-23 20:22 | 読書ノート | Comments(0)


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