2014年 08月 04日

ローレンス・ブロック「償いの報酬」読了

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 これがマット・スカダーものの最新刊(2011年原作刊行)らしいが、
泥棒バーニイ・シリーズの最新刊「泥棒は深夜に徘徊する」(2004年刊)
より、しゃんとしてる(? 失礼!)のは、シリアスなタッチは作家の
年齢や体力にあまり影響されない(ゼロって訳じゃない)が、コメディ・
タッチに必要とされるビートは、確実に年齢に影響される、ということ
だろうか。

 バーニイ・シリーズはのどかなコメディで、バーニイとキャロリンの
暢気な丁々発止、バーニイの語り口のおっとりしたヒューマーなどを
楽しむ作品だと思うけれど、「深夜に徘徊する」は他の作品よりモタっ
てる感じが、わたしはした。ビートがやや失われているような。
 それで、コメディアンと、彼の年齢や体力の問題を思い出したのだが。

 マット・スカダー・シリーズ「償いの報酬」は、相変わらず淡々と
した抒情詩。抒情詩の場合は、ビートではなくリズム感覚だろう。
それは健在である。

 74歳のマット・スカダーが30年前のできごと、断酒3ヶ月の頃に
起きた物語を回想する。子どものとき知っていた男と、AAで再会
したら彼が殺され、彼の周りの人々に死が続く。

 AAの禁酒プログラムの第九段階(ステップ)には、過去に自分が
傷つけた相手全員に"埋め合わせ"をする、というのがある。生きて
いる相手なら、実際に会いにいって謝罪する、という行為だ。

 クリスチャンなら教会で告白すればよさそうだし、お金があれば
分析医に聞いてもらう手もある。AAだと、ファーストネームだけで
呼び合う集会の全員の前で、自分がアルコール中毒であることを
告白したり、過去にやってしまった酒の上での失敗を話したり、
ともかく語り続けて自分を酒から遠ざける、らしい。一神教の文化
でないと出てこない発想だけれど、AAはプロテスタンが考えだした
組織ではないかしら。部外者には、儀式性の薄い告白ショーに見えて、
不安になる。

 形態があることが生身の人間には必要で、カトリック教会の告解室
みたような閉ざされた空間で、神に伝えてもらうための存在(神父)
を前にする告白なら、思いを言葉にし、実際に口に出すことで昇華
されるだろうと、クリスチャンでないわたしでも想像できる。
 でも室内とはいえ、同じ病いを抱えた同士とはいえ、公衆の面前で
開けっぴろげに口にすることで、昇華は可能だろうか。言葉自体の
自動律に引きずられて、ありもしない自分の内面を発見したり、過去の
再構成に走ったりしないと、保証されるのか。
 ミサの儀式や告解室や神父という装置は、ひとが方向感覚(センス)
を失わないための、大事な枠組みではないのか。

 「慈悲深い死」で過去を告白しようとした男が殺されるが、同じことが
「償いの報酬」でも起きる。寝た子を起こすな、という教訓ではもちろん
ないけれど。

 AAは言葉自体に具わる運動性や強制力について、無防備・無神経
過ぎやしないかと、つい、そんな方向に頭が動いてしまった。

     (二見文庫 2012初 帯 J)





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by byogakudo | 2014-08-04 16:19 | 読書ノート | Comments(0)


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