猫額洞の日々

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2014年 09月 06日

ローレンス・ブロック「死への祈り」読了

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 浴槽を洗ったら、もう息切れ。くたびれてソファに横になる。思い起こせば、
本を読むのはソファに横たわって、の姿勢でずっとやってきた。文字が読めない
ころの記憶はないけれど、親戚の敦彦ちゃんの隣で腹這いになって何か読んで
いる写真は思い出す。
 二階の北の廊下にあった壁一面の本棚__戦前の平凡社「世界美術全集」くらい
しか眺める本はなかったが__の前に置かれた薄いピンクの花柄の寝椅子に横に
なり、読んであるいは眺めていた。
 風邪を引いて寝ている布団の中での読書__腕を出してると風邪が治らない
と言われながらも、起きてる限りは読んでいたかった。10代後半で、ソファで
読んだ姉の持っていたメレディス「エゴイスト」。そこにあったから読んだ
だけで何も覚えていない。思い出すのは、本を読む行為すなわち横になること。
 例外的に椅子に坐って読んでいたのは、古本屋時代の10年余りではないか。
昼間の閑な店内で、読み出すと終われなくて坐って読む。いや、あのころは、
本を見ればグラシン紙で覆うことしか考えられず、でなければ書籍小包を作って
いるほうが多かったのか。

 店を閉じ、歩く体力のない現在、一日中ソファかmacの前にしかいない。ブログが
長ったらしくなり、前置きが長くなった。

 「死への祈り」はサイコ・キラーによる連続殺人事件を扱う。マット・スカダー・
シリーズの犯罪者はほとんどサイコ・キラーだけれど、マットが語る一人称の物語
の合間に、犯人の側に立って書かれた三人称の記述が挟まれ、追いつめ/追いこま
れるサスペンスの作り方が巧い。
 肥大した自意識のお化けみたような犯人が、パソコンのシリアルキラー・サイトを
愛読し、投稿はしないけれど自分の犯罪について原稿を書くシーンがある。
 ツイッターやフェイスブックやブログ等、web上で投稿する行為の根っこにある
気持ち悪さが、これ、肥大した自我だろう。書き手も読み手もwebの中有に漂い、
おぼろな自画像/他者像に互いに自己投影しているのがパソコンの世界である、
かなあ。

 良識のひと、マット・スカダーは助手のTJからどんなに勧められようと、パソコンに
手を出さない。妻のエレインも使うようになり、彼らの住まいの目と鼻の先、マットが
かつて暮していた、通りの向かい側のホテルに住むTJと、Eメールで連絡をとり合う
近頃を、
<ふたりの子供が空き缶に糸をつけて電話ごっこをするよう>(p84)だと眺める。

 パソコンは無駄に自意識を肥大させる妄想醸成装置である、というのが、この
ミステリの隠されたメッセージであるって、またわたしはヨタっている。
 パソコンでますます自我が肥大する危うさを、作者であるローレンス・ブロックは、
パソコンを使って物語を書きながら伝えているのだけれど。

 1950年代後半から60年代前半にかけて人気があったイラストレーター、
キーン夫妻の話が出てくる。
<夫のほうは、眼のとても大きな、浮浪児のような格好をした子供の絵を描き、
 妻のほうも同じように、眼がとても大きくて、浮浪児のような格好をした思春期
 の少女を描いていた。>(p86)と読んだ途端、作者の名前も知らなかった、
あれらの絵を思い出した。
 ティム・バートンによる映画化「Big Eyes」が12月公開らしい。

     (二見文庫 2006初 J)





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by byogakudo | 2014-09-06 23:36 | 読書ノート | Comments(0)


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