猫額洞の日々

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2014年 10月 11日

ローレンス・ブロック「殺し屋」読了

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 写真は、雑司が谷の宣教師館、S がひとりで行った。池袋の「アルトー24時
++再び」のとき、もっと時間があったら鈴木創士氏をご案内したかったところ
のひとつ。鬼子母神にもお連れしたかったが、あの日はかなり暑かった。
 
~10月10日の続き

 泥棒バーニー・シリーズの「泥棒は野球カードを集める」が1994年原作刊、
殺し屋ケラー・シリーズ第一作「殺し屋」所収の『ケラーの引退』原作刊が
1998年だ。ローレンス・ブロックは集中的に各種コレクションについて調べた
のだろう。そのうち、野球カードの知識はバーニイ・シリーズに使い、切手収集
の蘊蓄が『ケラーの引退』に使われたと思う。

 引退後に備えて趣味を持たなくっちゃと示唆された殺し屋、ジョン・ケラーは、
子どものころ切手を集めていたのを思い出したはいいが、見事、深みにはまる。

 犬を飼い、出張(?)中、犬の世話をする若い女を雇い、しばらくは彼女と犬と、
二人と一匹で楽しく過ごしていたのに、彼女は犬とともに出て行ってしまい、また
独身者に戻ったケラーである。趣味のひとつくらい、なくっては。

 古本屋という表の職業をもちつつ本業は泥棒であるバーニイは、自分を特別視
しないが、殺し屋ケラーはもっと特殊な仕事をしているのに、自分を平凡な男だと
認識している。

<彼は自分のことを典型的なニューヨークの独身男と思っていた。ひとり暮らしで、
 食事は外食かテイクアウト。洗濯物はコインランドリーですませ、朝はコーヒーを
 飲みながら<ニューヨーク・タイムズ>のクロスワード・パズルを解く。ジムで汗を
 流し、女とむなしい関係を持つこともあるが、映画はたいていひとりで見にいく。
 この裸の街には文字どおり八百万ほどある話で、その大半はつまらない話だ。
 自分もその例外ではない。>(p349)__<映画はたいていひとりで見にいく。>
ってとこが決め台詞。

 シリーズ・キャラクターの中では、アル中のせいで、いちばんナルシシズムに傾き
やすそうなマット・スカダーであっても、自分がヒロイックになってると感じると、
すぐさまそんな自分を否定する。ローレンス・ブロックの主人公たちの美点は、
その非ナルシスティックな姿勢にあるといってよいだろう。非ナルシスティックな
姿勢、つまりストイシズムもまたナルシシズムに通じないかと言われたら、それも
そうだけれど、自己憐憫や自己愛むき出しの主人公なのに読者が主人公に加担
したくなるようなエンタテインメントは、書けるだろうか?

 最終章『ケラーの引退』でボスが死亡し、ケラーはその未亡人(?)・ドットの
下で仕事を続けることにする。引退は取り消しである。
 ドットは、女に指図されるのを問題にしないケラーと組めることを喜ぶ。女がボスで
男が部下、というのでA・A・フェアのバーサ・クールとドナルド・ラムのシリーズを思い
出した。ドットとジョンでは、より民主的(?)でありそうだが。

     (ローレンス・ブロック/田口俊樹 訳「殺し屋」 二見文庫 1998初 J)





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by byogakudo | 2014-10-11 22:36 | 読書ノート | Comments(0)


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