猫額洞の日々

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2014年 10月 17日

ローレンス・ブロック「殺しのパレード」読了

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 ケラー・シリーズ第三作「殺しのパレード」は一見、短篇連作形式だが、第一章
『ケラーの指名打者』は5章で終わり、第二章『鼻差のケラー』は6章から始まる。
最終章『ケラーとうさぎ』まで、全章に通し番号がつけられている。実質的には
長篇というべきか。

 第一作「殺し屋」が短篇連作形式で、これは短篇毎に章の番号が増えてゆく。
『1 名前はソルジャー』、『2 ケラー、馬に乗る』という風に。続けて読めば
ケラーの人柄や日常も自ずとわかるが、いわゆる短篇集の作り、と感じる。
唐突な始まり方、文体のそっけなさがハードボイルド・ミステリらしい。

 第二作「殺しのリスト」は長編である。流動的な連作短篇集、という言い方は
ないだろうが、そんな感じだった。長編にまとめる前にエピソード毎に短篇として
発表され、その後一冊の長編になった、という経緯のせいで、そう感じるのかも
しれない。自在に書く作家だ。

 殺し屋ケラー・シリーズが始まったのが、1998年。もしかしてニューヨーク
以外のアメリカを描くために始めたシリーズかしらと、ヨタロー的にひらめいた。
マット・スカダーもバーニイ・ローデンバーもニューヨーカーであり、物語もほぼ
ニューヨークの中で展開する。東京っ子が箱根の先を知らないように、ニューヨー
カーもニューヨークの中で棲息していたがるのだろうが、シリーズ・ヒーローが全員
ニューヨーク内部で活動しているのも単調になりかねないし(実作上、そんなことは
ないだろうけれど)、ローレンス・ブロック自身がよく旅行するらしいので、そこから
アメリカ各地に出張するヒーローを思いついた、とか? いくらでも妄想できちゃう。

 9・11はパール・ハーバー以来の衝撃だったのだろうか。あれだけ世界中で戦争
しながら憾みを買わないと信じてるほうがおかしい。戦闘行為は正義を実践する
ための善意の行動だから、それが憾みを買うなんて、アメリカ人には想像も及ば
ないのかもしれないが、はた迷惑なナイーヴさを意識したことはないのか。
 「デイジー・ミラー」とか読むと、アメリカ人でも世間知らずを省みる作家もいる
のに、大多数のアメリカ人は常に変わらず、アメリカの無垢な正義を自己信仰して
いるのだろう。それが信じられないと自分が存在できないと思うのは病いであり、
自分の弱さを認められないのが弱さの証明であるのに。これは別にアメリカ人で
なくとも、日本のマザコン・おっさん文化や、それにかぶれて立身出世しようとする
浅はかビッチどもにも見られる症状なのだが。

 話がずれたついでにビッチ攻撃しよう。女が女の悪口をいうと、かつてのマザコン・
おっさん文化に於いては、すぐさま「女の敵は女」だと、したり顔で反応されたが、
今は少しは学習しただろうか。女の敵は男に決まってるじゃないか。対立する存在
同士だからこそ、融和が図られてきたのではないか。(マザコン文化に護られてきた
男は、女を視野に入れる必要もなく、男たちの間で闘争していると信じきっていた。)

 ビッチ・小渕優子については、むしろ二世政治屋によくある現象だろう。安倍晋三
や麻生太郎に今のところ政治資金問題が出てこないのは、スタッフが優秀で法律上
は合法である処理法に長けているか、違反していたとしても検察がグルになってて
立件しないか、どちらかではないか。

 他のビッチ、松島みどり、山谷えり子、高市早苗、片山さつき、有村治子、6人とも
顔がいけない。造作の美醜の問題ではなく、生きてきて刻まれてしまった表情筋の
痕が、いけない。(どんなに造作的美人や美男であっても、馬鹿だと馬鹿なりの表情筋
が刻まれる。お互い気をつけましょう?!)

[10月18日 追記
 失礼! 片山さつきを忘れていました。<5人とも顔がいけない>です。]
[10月18日 追記2
 さらに失礼! 今日は高市早苗と山谷えり子と有村治子の3人の靖国フリーク・ビッチズ
 なので、合計<6人とも顔がいけない>です。もうビッチはいないかな?]

 松島みどりは最近顔を知ったが、人前に顔をさらす職業であることを理解していない
のではないか。国会での写真なのに、茶の間で主婦がぶうたれてるみたいな表情を
している。居直ろうとして居直りきれず、ふてくされた、あさましい顔。
 若い、多少は可愛い女がちょっとふてくされて見せるのは不良っぽい魅力のアピールと
いえなくもないが、美人に生まれつかなかった女は、いつどんなときでも自制していな
ければ、醜くなるだけなのだ。公けの場に在りながら、欲求不満の主婦が茶の間でふて
てる表情を撮られるのは、無自覚すぎる。

 女は意識より無意識部分が多いので、誰かにいわれなくても、自己抑制的に生きないと、
みっともなくなりやすい。専業主婦が自分のルールで家庭を仕切ってきて、それが外界でも
通じると勘違いしていたり、多々、例があるように。
 べつに主婦や女政治屋に限らない。仕事を引退した男が、部下に口をきくときと同じ口調で
病院スタッフに文句をつけてる、みっともない姿を、先日見かけたが、自意識が働かないとき
の人の振舞は、見てられない。今のわたしが往々にして仏頂面してるのを棚に上げているが。

 9・11の話だった。「殺しのパレード」中の『ケラーの適応能力』(2005年発表)では、
ケラーは毎夜ヴォランティア活動をしている。
 ハドスン川桟橋では、
<グラウンド・ゼロで救助活動をしている人たちに食事を配るボランティアを募っていた。
 毎晩十時頃、桟橋に集まり、モーターボートで川をくだり、現場付近に停泊している別の
 船に移る。船内では一流の料理人が腕をふるっており、ケラーやほかのボランティアが
 その料理を配るのだ。煙のまだくすぶる崩壊現場での作業で腹をすかせた人たちに。>
(p109)

 ケラーはすべて自己満足的であるとは分かっている。
<「[略]彼らは救助隊員と呼ばれてるけれど[中略]人を救い出してるわけじゃない。
 救い出す人なんてもういないんだから。みんなもう死んでるんだから」
 [略]
 「献血と同じだ。テロのあった日、誰も彼もが病院に押しかけた。負傷者のために
 献血しようというわけだ。だけど、負傷者なんていなかった。いたのはビルから脱出
 できた人とできなかった人だけだ。脱出できた人は大きな怪我を負ってない。脱出
 できなかった人はみんな死んだ。献血された血はどうなったか。みんな捨てられてる」>
(p110)

 しばらくしてケラーはヴォランティアを止める。
< 「雰囲気がまるで変わってしまったんだ」[略]
 「赤十字が引き継いで、四六時中やるようになったんだ。被災地の救済は彼らには
 お手のものだからね。[中略]
 しかし、おかげでニューヨーカーが自発的にやっていたことが、すっかり機械的な
 ものになってしまった。当初は一流のシェフが腕をふるって、救助隊員においしいと
 思ってもらえるものを出していたわけだけど、赤十字が仕切るようになったとたん、
 食事はマカロニとチーズ、それに薄切りビーフの薫製(くんせい)をのせたトーストに
 なってしまった。[以下略]」>(p120)

 ドットは、ヴォランティア活動はいい気分になりたいからやるのだ、と述べる。
<「[略]結局のところ、ボランティア活動っていうのはそういうものだって言いたい
 だけ。いい気分が味わえなくなったら、人はたいていやる気をなくすものよ。そこで
 プロの登場というわけ。彼らが仕事をするのはそれがかれらの仕事だから。気分が
 いいかどうかなんて関係ない。ただ黙々と自分の仕事をするだけのことよ。出すのは
 マカロニとチーズかもしれないし、チーズはプロセスチーズかもしれない。でも、お皿
 には必ず何かがのってる。わたしの言いたいことはわかるでしょ?」>(p121~122)

 『ケラーのダブルドリブル』では、子どものころ近所の子どもたちと上手く交われ
なかった思い出が少し語られる。
 子ども同士でいるより、大人の間にいるほうが気楽に感じるケラーなのに、母親は
それがわかっていない。ひとり息子が近所の子どもたちがバスケットボールをしてる
のをぽつんと見ていると解釈した彼女は、向かいの家の子どもたちに加えてもらえば、
と言う。ケラーはバスケットボールのやり方を知らないのに彼女から言われて、通りを
渡って参加してみるが、ゲームの邪魔になるだけで、他の子どもと交代になる。
 誰も彼に注意を払ってないので黙って帰り、母親にはメンバーが決まってて溶け込む
のがむずかしそうだ、という言い方をする。

 彼の母親も、少しペースが変なひとだった。溶け込めないと聞いて、自宅のガレージに
バスケットボールのゴールを取り付けさせる。
<「ゴールがあったほうがいいと思って。いつでも好きなときに外に出て練習できるし、
 ほかの男の子たちもそれを見て、うちに来て一緒にプレーするようになるでしょ?」>
(p347)
 ケラー少年が少し練習に使っただけで近所の誰も一緒に遊ばず、
<ほどなくケラーも外に出て練習するのをやめた。放課後にアルバイトをするように
 なると、ボールをガレージに放り込んで、あとはもうすっかり忘れてしまった。>
(p348)

 ケラーが社会に抱くミスフィット感、ふだんあまり意識しないから、逆に折りをみて
頭をもたげる社会参加指向。孤独が身にしみる、殺し屋の話だ。

     (ローレンス・ブロック/田口俊樹 訳「殺しのパレード」 二見文庫 2007初 J)





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by byogakudo | 2014-10-17 21:00 | 読書ノート | Comments(0)


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