猫額洞の日々

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2014年 10月 28日

(2)高見順「敗戦日記」1/3

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~10月26日より続く

 1945(昭和20)年1月27日の空爆<最初の市街盲爆である。>(p42)で
焼けた銀座を30日に見に行った高見順は、ふと、新聞社の伝書鳩はどうした
ろうと思う。

 2月4日は半焼けの浅草に行き、「如何なる星の下に」に書いた店や人々
を訪れる。3月10日暁方の下町大空襲<罹災家屋二十五万軒、罹災民百万と
言われている由。>(p126)ですべて焼土と化した浅草を、12日に訪れる。

 東京駅で見かけた罹災者は、
<男も女も顔はまっさおで、そこへ火傷をしている。そうでなくても煙で鼻の
 あたりは真黒になっていて、眼が赤くただれている。眉毛の焼けている人も
 ある。水だらけのちゃんちゃんこに背負われた子供の防空頭巾の先がこげて
 いる。足袋はだしが多い。なかにははだしの人もいた。ぼろのようなものを
 さげている。何も持ち出せなかったのであろう。>(p126)

 浅草に着くと、
< 本所の方からの罹災者がえんえんと列をなして歩いてくる。こっちからも、
 焼跡へ掘り出しに行く罹災者、見舞の人々、見物の人々が列をなして行く。
 [中略]
 合羽橋の方へ曲った。国際劇場が、ついそこに見える。間の家がみんな焼けて
 しまったからだ。>
 「如何なる星の下に」に記した店の名前、登場した人々、アパート名が列記され、
<何もかも、灰燼だ。>(p127)と結ばれる。

< 国際劇場は、外は残ってなかはすっかり焼け落ちている。ところが松竹新劇場
 (もとの江川劇場)は無事だった。
 [中略]
 出演者や演し物の看板をおさめた飾り窓風のガラスもそのまま、なかの看板もその
 まま(その無事な色彩が異様だった)、そして裏手の家も残っていた。国際通りの外国
 の映画館(名を今思い出せぬ)も、同じように助かっていて、「格子無き牢獄」のビラ
 やスチールがガラス窓のなかで、そのまま残っている。そのガラス窓に近づいて、
 なかのスチールをじっと見ている若い男があった。>(p129~130)

 都筑道夫の3月10日の記録を思い出す。自宅焼跡にレコード盤だけ残っている! と
思って手に取ったら、色彩や文字の残るレコード・ジャケットも中身も、はらはらと
崩れ落ち灰になる様子が描かれていた。まるで自分が経験したできごとみたように
覚えてしまったが、「格子無き牢獄」のビラやスチールを見つめる若い男も、"わたし"
の記憶の一部になりそうだ。まだ生まれてなかったけれど、わたしは逢ったことのない
彼らの記憶を引き継いで生きてきた、ともいえる。

[10月29日追記:
  3月10日でなく5月25日かもしれない。レコード盤は「会議は踊る」だったような
 気もするが、何で読んだか覚えてなくてチェックできない。「昨日のツヅキです」?]

 昨日、「昭和恋々」に傷痍軍人が出てこないのはなぜかと書いたけれど、戦争と
いう楔を打たれた戦前戦後の昭和から、小春日和の記憶を取り上げる試みである。
戦争に直結する傷痍軍人や、街頭の千人針の記憶は背後に置かれるべき項目で
あろう。
 政治的でない言説など存在し得ない、わかりやすい一例。

     (高見順「敗戦日記」 中公文庫 2005初 J)
     (山本夏彦/久世光彦「昭和恋々」 文春文庫 2003年3刷 帯 J)    

10月29日に続く~ 





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by byogakudo | 2014-10-28 20:54 | 読書ノート | Comments(0)


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