2014年 11月 03日

秋尾沙戸子「ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後」に取りかかる

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 高見順「敗戦日記」に続いてアメリカによる占領の話に行けば、現代史
の復習になるかと思っていたが、続けざまがややヘヴィなので、子母澤寛
を入れた。入れてよかった。秋尾沙戸子「ワシントンハイツ GHQが東京に
刻んだ戦後」は、最初のほうだけ少し読んでいたけれど、第一章では5・25
の山の手の大空爆が語られる。

 第二章は戦前に来日し、ライトの弟子として帝国ホテル設計に関ったアント
ニン・レーモンドが登場。レーモンドはその後も日本で住宅や大学、大使館
などの設計を手がけるが、1938(昭和13)年ころにアメリカに帰る。第二次
大戦で日本が負けるまで、日本には戻らない。チェコ系のレーモンドの兄弟は、
5人ともナチの犠牲になった。
 そのレーモンドが二重スパイではなかったか、という話が出てくる。あり得る。

 アントニン・レーモンドはユタ州の砂漠に、焼夷弾を効果的に使用するための
実験用・日本住宅を建てる仕事を引き受ける。日本(やドイツ)が早く負ける
ことが、戦争を早く終わらせるために必要だから、という理由で。

 ほぼ完璧な日本住宅の再現である。
<二階建ての三棟の建物を四列、十二棟を二組建てた。トタン屋根と瓦屋根の
 二種類を造り、建材もできるだけ日本のヒノキに近いものが使われた。
 [中略]
 漆喰の代用として壁材は南西アメリカで使われている「アドビ」という土壁を
 用いた。雨戸や物干し台、庇(ひさし)の下には欄干をも取り付けた。
  家の中には畳を敷いた。実験に使えるだけの畳を短期間で製造するのは、
 アメリカでは不可能だった。海軍がハワイまで出向き、日系人の家庭などから
 集めてきた。>(p61~62)

 引用されたE・バートレット・カー『東京大空襲』によれば、
<まるで現代の住宅展示場のように実際に人が住めるような出来栄(できば)え
 だった。漆喰の壁と障子で仕切られた長屋には畳が敷かれ、室内には卓袱台
 (ちゃぶだい)に座布団、箸(はし)や炭火鉢、さらに洗い桶(おけ)といった台所
 用品まで周到に備えつけられていた。
 [中略]
 向かいの長屋との間には[略](約二メートル四十センチ)幅という狭い露地が
 通っている。東京の下町でよく見られるような風景の再構築を、そこまで
 詳細にNDRC(国家防衛調査委員会)は研究し、指示していたのである。>
(p62)

 B29は500ポンドのクラスター爆弾を搭載する。各クラスター爆弾はM69焼夷弾
を60個詰め込んでいる。
 クラスター爆弾は、
< ターゲットの近くまで落ちてから、開いてM69を放つ。M69は各々(おのおの)
 特別な「ジェリー状のガソリン」を詰めており、やがて厚さ四分の一インチ、直径
 三フィートの粘り強い炎を帯びた「パンケーキ」になり、当たった標的なら何でも、
 その表面にくっついて獰猛(どうもう)な炎を出す。>(p51)

 東京大空襲を指揮したカーティス・ルメイの証言によれば、
<「日本と同じ装備の"消防団"までが組織された」>(p63)焼夷弾による爆撃実験
だった。

<ドイツの家も実験の対象として設計された。やはりドイツの家屋に詳しい建築家
 エリック・モンデルソンが依頼を受けている。日本の「木と紙の家」と違って燃え
 尽きなかったドイツの家は、その後、生物化学兵器の実験にも使われた。モルモット
 を家の中に閉じ込めての実験だったという。>(p63)

 第三章にもルメイ、登場。
< 「もし戦争に負けていたら、われわれは戦争犯罪人だった」>(p85)と公言する
確信犯・ルメイに、1964(昭和39)年12月(あ、東京オリンピックの年だ!)、日本
政府は「勲一等旭日大綬章(きょくじつだいじゅしょう)」を贈る。

 推薦者や経緯は日本では明らかにならなかった、そうだが、受勲の様子は、
アメリカに映像として残っている。
<埼玉県入間(いるま)のジョンソン米空軍基地。その中に設けられた小学校の
 朝礼台のような小さなステージの上で、時の佐藤栄作内閣の防衛庁長官・
 小泉純也(じゅんや)[注:小泉純一郎・父]が、来日したルメイに勲章を授けて
 いた。その表向きの理由は「航空自衛隊の誕生育成に貢献したから」となって
 いる。
  しかし、米国議会図書館の「ルメイ文書」ファイルの中には、彼が日本の航空
 自衛隊の仕事をした文書は残っていない。秘書のスケジュール帳を見ても、受勲の
 前年まで、日本に足を踏み入れた形跡もない。また、ワシントンDCにあるペンタ
 ゴン廊下に設けられた米軍功績者パネルにも、ルメイの展示コーナーはなかった。>
(p87)

 この場合の cui bono 組は誰だろう。
 航空自衛隊の誕生育成に貢献したという理由づけ...。証拠がないのは何かマズい
ことがあって、日本の役所お得意の書類焼却でもしたのだろうか? 実績がないから
証拠書類もない、ということなのか。

 小泉純也ウィキペディアによれば、防衛庁長官・小泉純也と外務大臣・椎名悦三郎
が閣議でルメイを推薦したそうだ。東京大空襲や原爆投下の点で反対されたが、原爆
投下はトルーマン大統領が直接指揮したのでルメイは関係してない、と説明する。
 原爆でなくて東京大焼尽の責任者なら、いいのか? 戦時下の日本に災いをもたらし、
戦後日本に何も貢献してないようなアメリカの軍人を叙勲する理由は、ほんとは何か?
 ルメイの叙勲で、誰がどんな利益を得たのか?

     (秋尾沙戸子「ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後」
     新潮文庫 2009初 J)

11月04日に続く~





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by byogakudo | 2014-11-03 18:10 | 読書ノート | Comments(0)


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