2014年 11月 11日

ジャネット・フラナー「パリ点描 1925-1939」1/4ほど

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~11月10日より続く

 「ニューヨーカー」誌に寄稿するときのジャネット・フラナーのペンネームは、
Genêt である。本名・Janet と音が近く、アクセントを外した genet(ジャコウ
ネコ)の意味も兼ねて名乗ったのかしら?

 1925年から始まる『パリ便り』では、ジョセフィン・ベーカーがパリに登場し、
トリスタン・ツァラが富豪の娘と結婚し、アナトール・フランスの一周忌である
ことが綴られる。

 今さら気がついて恥ずかしくなるけれど、若きシュルレアリストたちがうろつき、
パリのアメリカ人たちが歩き回り、「フロール」や「ドゥ・マゴ」で語り合っていた
あの頃のパリは、十九世紀末のパリというインフラストラクチャーを土台にした
ベル・エポックのパリの延長、にある街だ。新旧混合した街であり時間である。

 東京みたいに(いや、日本中そうだけれど)、いつも壊しては建ててる、永遠の
普請中の都に暮していると、街並が時間的に連続し、同じ風景(空間)を少なく
とも親子二代で共有できる、当り前の街があることを忘れる。大地震や台風など
自然災害はしかたがない(文明が進むと、自然災害時の被害が巨大化するパラ
ドックスがある)けれど、内戦で国中が焦土になったわけではないのに、いつも
焼跡からの出発を強いられている。

 Amanda Lear - Égal

 1925年、ルネ・クルヴェルは25歳。クルヴェルについては、

< <ドゥ・マーゴ>にたむろする彼らの仲間で、二流だが行儀のよいシュール
 レアリストだったのが、若手の作家ルネ・クルヴェルである。クルヴェルは小説
 『レ・ピエ・ダン・ル・プラ(へたな口出し)』__個人と社会が誤解し合っている
 ことを示す題名だ__で、作家として名を上げていた。子どものように舌足らずな
 話し方で、子どものように無垢な大きな目をいつも輝かせて、よく即興で作った
 荒唐無稽で風変わりな物語を朗唱しては、そのばかばかしく脈絡のない筋でわたし
 たちの目を白黒させたものだ。その論理の欠如から、まぎれもなく当時のシュール
 レアリストの創作だとわかる。第二次大戦後に結核にかかったが、未亡人だった
 母親が亡き夫の残した財産の一部を売り払って息子を二年間スイスへ静養にやる
 ことができたおかげで、結核は完治した。だが、パリに却ってくると、エキセン
 トリックなヴィオレット・ミュラ公女を取り巻く若者の仲間に入ってしまった
 (ミュラ公女は見た目に体形のバランスが妙に欠けていて、首がほとんど
 なかった__「スミレ(ヴィオレット)というよりトリュフみたいだ」と、ある夜
 リッツ・ホテルで公女を初めて見かけたマルセル・プルーストがいったそうだ)。
 結局、彼女は海軍基地のあるトゥーロンへ移って、波止場にある廃船となった
 潜水艦で暮らし、阿片におぼれるようになった。ルネ・クルヴェルも一緒になって
 阿片を吸い、それが命取りとなった。>(p28~29)

__と、ジャネット・フラナーは述べるが。

     (ジャネット・フラナー/吉岡晶子 訳「パリ点描 1925-1939」
     講談社学術文庫 2003初 帯 J)

11月12日に続く~





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by byogakudo | 2014-11-11 18:31 | 読書ノート | Comments(0)


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