猫額洞の日々

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2014年 11月 25日

平山盧江「つめびき」を読み始める

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 これがあったんだと、昨夜から平山盧江「つめびき」を読み始めた。
"芸者の一生"みたような話らしい。第一章に当たる『雪の夜』では、
若いというのか子どもっぽいというべきか、15、6歳(むかしだから
数え年だ。たぶん満年齢の13、4歳、中学生くらい?)のお酌・やや子
が雪の夜、足袋はだしで待合「満月」から、少女の所属する芸者家
「浪花家」に逃げ帰る。

 彼女の父親は、かねて、
< 「つとめ奉公に上つても男の人と寝たりなんかしちやいけないつて、
 芸者はどこまでも芸だけ売れば可いので身体を汚すんぢやないつて」>
(P5)と、やや子に言っていたので、待合で客を取るように言われたら、
親の言いつけに従って逃げ出すしかない。

 そもそも、彼女が芸者家に身売りしなければ、一家の長男の仕事場を
作る資金ができなかったのだから、娘が芸のある売春婦になることが
分かっていながらの父親の台詞は、自己欺瞞である。本気で芸のみで
立つ芸者が可能だと信じているなら、父親は気がおかしいか愚鈍なの
だろう。

 やや子が逃げ帰ってきた翌日、偶然か、あるいは芸者屋の女将にそっと
呼びつけられたのかもしれない、彼女の母親が芸者屋に借金にきて、断ら
れる。それを聞いた娘は、いよいよ身体を売って一人前の芸者になろうと
決心する。母の行為も、無意識にせよ自己欺瞞だ。

 しかし彼女の貞操は、心優しい水揚げ客の思いやりによって守られ、
やや子は借金も払ってもらえて、無事に実家に戻ることができた。
 でも、親切な客は、見返りも求めず借金を肩代わりしてくれるのなら、
もう一歩踏み込んだ処置を考えるべきではなかっただろうか?
 少女が実家に戻ったところで、造花つくりの内職をする父、仕立てもの
内職の母、14歳の弟、別に暮らす鋳物職人の兄一家という家族構成だ。
貧困の度合いを考えれば、再度のお披露目をするのは、目に見えている
ではないか。彼の親切は身を売るのを、いっとき遅らせてやるに過ぎない。
 詰めの甘い慈善行為もまた、自己満足である。

 __と、細やかな義理人情の交錯する世界の発生源、その欺瞞性に
ばかり偏向注目して読むのは、断然まちがっているけれど、小説がいか
ようにも書けるように、読むほうもいかようにも読めるのだから、あたかも、
"プロレタリア、学習せよ! その後、立ち上がれ!"と言わんばかりのノリ
で花柳界小説を読むのもアリではないかしら?

     (平山盧江「つめびき」 住吉書店 1952初 J)

11月26日に続く~





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by byogakudo | 2014-11-25 20:35 | 読書ノート | Comments(0)


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