2015年 01月 24日

佐藤春夫「小説永井荷風伝」だけ読了

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 文庫本収録のメイン、「小説永井荷風伝」だけ読み終えた。

< 荷風自身が記述するところ、巷間に流伝するところ、そうして
 わたくしが直接に見聞したところ、これを三脚としてわたくしは
 その上に一つの荷風伝を組み立ててみようとする>(p10)
「小説永井荷風伝」である。「小説」と「評伝」はどう異なる? 
という疑問も読後に残るが、佐藤春夫の荷風への敬愛の思いが
あるので後味は悪くない。

 ウォホールのファクトリーとそこに吸い寄せられた人々、ラリーズ
(水谷孝)とラリーズ・メイト、...スターとその周辺に集まる人々の
間に起きるできごとは、ときと場所こそ違え、同じ宮廷的性格を持つ。
 永井荷風というスター文学者と周囲の人々、取り巻きたちにも同じ
できごとが起きる。すなわち、誰がスターのお気に入りであるか。
__トラブルのもとである。

 ウォホールはいわゆる"確信犯"的に、取り巻きたちの嫉妬や対立を
眺めていたと思うけれど、荷風の人格や時代では、そこまでの外化
認識はできなかっただろう。佐藤春夫にしても「来訪者」問題の余波、
何某の讒言のせいで荷風から遠ざけられた、という理解である。引力と
斥力の問題とは考えない。

 「あめりか物語」に関して、太田三郎「荷風の知られざる在米時代」
に依拠して書かれた『第五章 アメリカに在りて』が面白かった。
 荷風が部屋を借りたのは、古屋商店のタコマ支店支配人・山本一郎の
居宅だが、古屋商店は、日本人売春婦のための地下銀行から始まった、
という。

 仕立職人・古屋政治郎は、売春婦たちの
<金を人知れず預かってやることを案出した。必要に応じてはいつでも
 直ぐ返還するし、彼女たちの買い物は引受けて調達する。親許への
 送金も確実にする。女どもにとって、これはまことに便利、重宝に安全
 であった。
 [中略]
 女どもが死んだり、殺されたり、さては奥地へ売り飛ばされたりした場合
 [中略]
 古屋の預かった金は返還を要求する人がいないままに古屋のものとして
 自由に利用される。>(p75)

 これを元手に発展したのが古屋商店である。明治23年(1890)年に
シアトルに移民としてやって来て、3年後のことだ。6年目にはタコマ支店、
数年後には信託部を銀行にし、等々、
<終に太平洋岸の日本人社会の金融、実業の中心的存在となって、支店長
 の山本までが財界の名士として内地にまでその名をひびかせるに到った。>
(p75~76)

 これもよくある話だ。敗戦後の闇屋から大企業へ、オレオレ詐欺で得た資金で
堅気の仕事にシフトとか。__資本主義は、人と欲望の関係に深くコミットした
システムだ。

< 荷風はこういう人物の片腕ともなった山本一郎の家に客分としていたの
 だから、当時の荷風は最もゾラ的小説の空気を呼吸していたはず、何故か
 それを書かずに、もしくは書けずに、片々たる「あめりか物語」を書いた。>
(p77)
と佐藤春夫はいうが、社会派小説の題材である。荷風の資質と文体(当時の)では
書き切れないから、書かなかった、もしくは書けなかった、ということだろう。

     (佐藤春夫「小説永井荷風伝 他三篇」 岩波文庫 2009初 J)

1月25日に続く~





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by byogakudo | 2015-01-24 22:12 | 読書ノート | Comments(0)


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