猫額洞の日々

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2015年 01月 25日

まだ佐藤春夫「小説永井荷風伝」中の「他三篇」を読んでいる/やりきれない

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~1月24日より続く

 なぜ荷風は下宿先のスキャンダルを材料にしなかったかの、
いちばん簡単な説明は、それを知らなかったから、だ。
 タコマでは友人がいなかったようで、毎日、寄宿先の山本一郎邸
から古屋商店タコマ支店に、日本から輸入された本や雑誌を読みに
行っている。
 山本一郎邸の女中でもからかっていれば、古屋商店についての噂
なりを聞いたかもしれないし、タコマ支店の店員たちと口をきいて
いれば、教えてもらったかもしれないが、荷風は超然とお坊ちゃんを
通していたようだから、彼らの口から古屋商店前史を聞いたとは思え
ない。
 まあ、もし耳にする機会があったとしても、まだ父親の権威の下に
あるので、書けなかっただろうが。

 「他三篇」のひとつ、「最近の永井荷風」では「踊子」についての、
佐藤春夫の実作者らしい、執筆時の荷風の身体に寄り添ったかのような
解釈が生き生きとスリリングだ。

 次の「永井荷風__その境涯と芸術__」に、「歓楽」からの引用
がある。

< 「私は父母親族兄弟の私に対する最初の憤怒、中途の擯斥、
 遂には憐憫また恐怖の情をも今では全く念頭に置いていない。
 私は詩人だ。彼等は普通の人間である。
 [中略]
 私は父母と争い教師に反抗し、猶且つ国家が要求せず、寧ろ
 暴圧せんとする詩人たるべく自ら望んで今日に至ったのである。
 其れだけの覚悟なしに居られようか。過去封建時代の遺物たる
 博徒顔役の輩は已に現代に於ては無用の遊民であろうとは云え、
 猶お犯罪者捜索の一便宜として国家行政の機関がその存在の意義
 を認めている。詩人は其れにも劣った無用の徒である無頼漢である。
 迫害されるのは当然の理ではないか。然し何たる不思議ぞ、私は
 其程の屈辱にも係らず、鳥歌い花開き、女笑い男走るを見れば、
 忽(たちま)ち詩の熱情を感じて止まない。詩人は実に、国家が法則の
 鎌をもって刈り尽くそうとしても刈り尽くし得ず、雨と共に延び生ずる
 悪草である。毒草である。雑草である。
 [中略]
 博徒にも劣る非国民、無頼の放浪者、これが永久吾々の甘受すべき
 名誉の称号である。」>(p232~233)

     (佐藤春夫「小説永井荷風伝 他三篇」 岩波文庫 2009初 J)

1月26日に続く~

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 裁判の被告席に着いても、馬鹿で気狂いだったら責任を問われない。
免責事項があるから、安倍晋三・類は大きな顔をし続けられるのか。
 「世に倦む日々」1月21日付け1月22日付けは、読み過ぎにも思えるが、
実際に起きる事件は、小説の論理性・合理性を欠くことが多い。オウム真理教
のバッジが弁護士宅に落ちていたと新聞で読んで、まさか襲撃するのにわざわざ
身元を明らかにするようなものを着けていくだろうかと、合理で解釈したわたしが
間違っていたことを思い出す。

 ヒトは合理的に判断して行動するものだと、つい思いこむ癖が直らない。
だから、安倍晋三や一味徒党の言動に呆れ果てるのだ。
 わたしは人類に対して甘すぎる。

 2004年10月に香田証生氏が殺されたが、あのときの政府やマスメディアの
対応はどうだったか。検証し直すべきではないか。わたしの感じ方も同じく。

 先週行った整骨院でもクリニックでも、今回のできごとをネタ扱いして喋る人々に
出くわした。わたしがブログにあれこれ書くことだって、結果的にはネタ扱いへと
回収される行為かもしれない。やりきれない。





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by byogakudo | 2015-01-25 20:05 | 読書ノート | Comments(0)


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