2015年 01月 31日

山口由美「クラシックホテルが語る昭和史」を読み始める

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 写真は近所の若い猫。界隈では近頃、モノクローム・タイプが増えてる
ように見える。

 建物や室内が好きだ。いや、室内好きから建物好きに進行したのか。
住宅から始まり、大きなビルへ。倉庫も工場もすてき。最近の超高層
ビルは、ごめんだが。
 建物の機能でいえば、ホテルという施設は閉じられた生態系として
好ましい。佇まいのうつくしいクラシックホテルなら、なおさら。

 文庫本のジャケット袖の著者紹介には、
<曾祖父は富士屋ホテルの創業者、山口仙之助>とある。いいなあ。
 ホテルの今は、大衆化された商業施設だけれど、始まりは閉鎖的・
特権的な、いわば私設・鹿鳴館だった。

 ホテルに関する本を読んだこともあったのに、日光・金谷ホテルの
経営者・金谷眞一(しんいち)の弟が、富士屋ホテル創業者の長女の
婿になった山口正造であることは覚えていなかった。富士屋ホテル
創業者の次女の婿が著者・山口由美の祖父だから、山口正造は大伯父、
という関係である。(p30)

 金谷眞一の私家版「ホテルと共に七拾伍年」の中に、
< 昭和十六年の夏の事であったと記憶する。箱根の弟[注:山口正造]
 から連絡があった。「私の仙石原(せんごくはら)の別荘に近衛公が来て
 居られる。そしてアメリカからルーズヴェルト大統領の密使が潜入して、
 今富士屋ホテルに居る。そして日米の感情の打開と、何んとか平和を
 確保しようと、最期の努力が傾けられて居る。大統領の密使は、カソリック
 の宣教師の様子をして居る。然(しか)しこれは、絶対秘密であって、軍部は
 全然知らない。軍部に知れたら、大変なことになる。[以下略]」。こうして
 近衛公と、この密使の間には真剣な交渉が開始された。その結果は大統領に、
 刻々と電報されたのだ。>(p32~33)

 著者はこの記述が気になりながらも手がかりがなく保留していたが、1940年
11月末に、
<ウォルシュとドラウトという二人の米国人神父が来日>(p35)したことを知る。
 金谷眞一の手記では1941年夏で、半年以上違うが、富士屋ホテルのレジスター
ブックの40年、41年度を調べれば、何か分かるだろうとホテルを訪れたら、この
二年分だけ別の場所に保管されていて、しかも
<一ページ目に記録があるだけで、あとはすべて白紙なのだ。>(p38)

 著者と同じようにクラシックホテルについて調べる、秋山剛康(たかやす)・
前金谷ホテル社長に訊いてみると、金谷ホテルも同年からレジスターブックが
欠番している。

 ホテルの滞在客の歴史をたどるに欠かせない記録が、意図的としか思えない
欠如を示す。この謎を探ろうとするミステリ・タッチのノンフィクションだ。

     (山口由美「クラシックホテルが語る昭和史」 新潮文庫 2009初 J)

2月2日に続く~

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 なんですって、「売国奴」にして「人間のくず」、百田尚樹が任期満了で
NHK経営委員を辞めるですって?! どうして罷免できないのか分からない。
日本の恥ではないか。





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by byogakudo | 2015-01-31 17:54 | 読書ノート | Comments(0)


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