2015年 02月 02日

山口由美「クラシックホテルが語る昭和史」半分

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~1月31日より続く

 日米間の戦争を避ける協議がじつは行なわれていたことを、
ふたつのホテルのレジスターブックが同時期に欠番している
ところから推理を始めた著者は、「井川忠雄 日米交渉史料」
に突き当たり、確証を得る。交渉していたのになぜ、一般に
知られていないのか。

 日本側の交渉者、井川忠雄は近衛文麿の高校時代の同級、
大蔵省の役人だったが、交渉前には産業組合中央金庫理事を
していた。
 もうひとり、岩畔豪雄は陸軍中野学校の設立者であり、二人
とも民間人の立場にある。

< 二人の神父と井川忠雄、岩畔豪雄、日米交渉を担(にな)った
 彼らのことを、研究者の間では、英語で「John Doe Associates
 (ジョン・ドゥ・アソシエーツ)」と呼ぶ。
 [中略]
 日米交渉の立役者たちが「名なしの権兵衛」と呼ばれる理由は
 何なのか。
  それは、彼らの努力むなしく日米は開戦してしまったからである。
  歴史とは、勝者の歴史であると、よく言われる。敗者の歴史は、
 正史からは無視されて、歴史とはみなされない。
  すなわち開戦した戦争の阻止工作は、なきものとされたのだ。>
(p55~56)
 身も蓋もないリアリズムであるが腑に落ちる。

 また、東京裁判の問題がある。「軍事法廷」史観の制限下では、
<日米交渉というものは、私的な在野のレベルでおこなわれた
 日米の接触でしかなかった[以下略]>(p57~58)とされる。

 富士屋ホテルのゴルフコースには、山口正造の別荘「午六山荘」
があった。
< 私的な別荘といっても、[中略]彼の、というよりは富士屋ホテルの
 ゲストハウスではなかったのか。特別な賓客や親しい人をもてなす
 ための、もしくはホテルでは支障がある人を迎え入れるための、
 あるいはホテルに滞在する人と同じ場所にいることが不都合な人
 のための、ゲストハウスである。
 [中略]
  たとえば午六山荘に近衛がいるタイミングに、富士屋ホテルに
 滞在するウォルシュ[注:交渉に来た神父のひとり]がゴルフをする、
 といったセッティングがごく自然に行なえるのだ。>(p68)

 戦争回避の努力が報われなかった一因に、松岡洋右の存在もあった。
「日米諒解案」が(提案として)いちおう纏まったのは、外務大臣・松岡
洋右が外遊中のことである。
 近衛文磨「平和への努力」に、
<感情の人一倍繊細な外相には米国案を最初に見せる時が重要>
(p50)と記される。
 首相のほうが外相より上なのに、なぜ気を遣うのか。たしかに松岡
洋右は、ゴネるとうるさそうだが__国際連盟脱退時の映像でしか
知らないが、日本の男によくある、白人コンプレックスの反動で大物
ぶって見せたがるチビ、魂がチビな男だと思う。映画館で、彼の脱退
シーンに拍手した多数の日本の男どもも"チビ"だった、ということだが
__、強引に通してしまえば、できなくもなかったかもしれないが、
ここでも機を逸する。

 以上が『第一章 日米交渉の舞台』、次が『第二章 戦中のインター
ナショナルゾーン』である。
 戦時中のホテルは滞在外国人たちの疎開地になった。そこで語られる
タイの王室や首相の話が、賢明で政治的に正しい振舞いとは、どういう
ものであるかを示す。簡単にいえば、すぐにキレる子供っぽい、松岡洋右・
流の正反対の、おとなの振舞いである。

 1941年12月8日、真珠湾攻撃の同日にシンガポールを落とそうとした
日本は、天皇の勅命もあり、マレー半島のタイ領土を通ることについて、
タイ側の許可を求めたが、
<タイのピブーン首相が不在で掴まらない。結局、時間切れで了承を
 得ないまま軍事行動を開始することになってしまった。
  日本が許可を取ろうとした時、ピブーン首相が雲隠れしていたのは、
 国際的にタイが「侵略」されたことをアピールするための工作だった
 と言われる。
  八日の朝になって姿をあらわした首相は、事後承諾のかたちで通過に
 関する協定に同意し、九日には、バンコクに入った日本軍が、実質的な
 占領下においた。そして、タイは日本と同盟を結ぶのである。
  戦後の文脈から理解すれば、日本からの圧力に抗しきれず、これらの
 ことを受け入れたことになる。>(p122-123)

 翌年、1942年1月25日、タイが英米に宣戦布告するときも、
< 布告は、スイスに滞在していた国王の代わりに三人の摂政(せっしょう)
 のサインが必要とされたのだが、その一人が日本の進駐時と同じく、
 雲隠れしてサインしなかったのだ。後にこの事実を根拠として、敗戦国に
 ならないよう活動した首相プリディーが、この時、雲隠れした本人である。>
(p123)

 羨ましくなるくらい正しい、政治家の振舞い方だが、これだけ布石を敷いても、
戦火は免れない。
 開戦時に戦争の終わらせ方を考えていた日本の政治家なり軍人なり、いたの
かしら? いたとして、どんなプランを持っていたのだろう?

     (山口由美「クラシックホテルが語る昭和史」 新潮文庫 2009初 J)    

2月3日に続く~ 





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by byogakudo | 2015-02-02 20:20 | 読書ノート | Comments(0)


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