猫額洞の日々

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2015年 02月 03日

山口由美「クラシックホテルが語る昭和史」あと少し

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~2月2日より続く

 『第四章 ホテルと終戦』で語られる、ホテルという建物/室内と人との
ひそやかな交わりは、個人の記憶を越えて普遍的な思いを読者と共有する。

 1978年、日中平和友好条約が結ばれた夏、著者・山口由美は高校生
だったが、箱根町少年少女訪中団のひとりとして中国を訪れた。
 文化大革命がやっと治まり、鄧小平の改革開放経済が始まったばかり、
まだ毛沢東礼讃の空気が残ったままの中国である。

 高校生の少女が撮った写真には、共産主義国家・中国の人々や風景が
捉えられているが、
<なぜか三泊したはずの大連賓館こと、旧大連ヤマトホテルを写した
 写真は見当たらなかった。
 [中略]
  古色蒼然(そうぜん)としたシャンデリアが吊(つ)るされた、かつての
 メインダイニングルームでの朝食の光景が昨日のようによみがえる。
 精製されていない小麦粉を使うせいなのか、ねずみ色をした饅頭(マン
 トウ)がテーブルに並んでいた。
  当時、大連賓館と名前を変えていたにもかかわらず、私は、そこが昔、
 ヤマトホテルと呼ばれた日本のホテルであったことをわかっていたように
 思う。なぜなら、ねずみ色の饅頭と老朽化したシャンデリアとのコントラスト
 に、瞬間、胸が痛むような感情が去来したからだ。かつて華やかさを謳歌
 (おうか)したホテルが、異なる政治体制のもと、満身創痍(そうい)になり
 ながら、それでも必死に誇りを保っている姿に、痛ましさのようなものを
 感じたのだ。
 [中略]
  終戦後、ほとんど改装されることもなかったのだろう、客室の老朽化も
 目を覆(おお)うばかりだった。配管の劣化も酷(ひど)く、バスルームで
 水道の蛇口をひねると、金属の匂(にお)いを含んだ湯が、ボコボコと
 老人が咳(せ)き込むような音をたてた。それらのすべてが、不快という
 よりは、むしろ哀(かな)しかった記憶がある。
  それほど印象的だったのに、なぜホテルにカメラを向けなかったの
 だろう。一九一四(大正三)年に竣工(しゅんこう)したホテルの建物は、
 同時代を生きたホテルの創業者一族だった家族の原風景に重なるもの
 があって、見慣れたものとして通り過ぎてしまったのか、あるいは、その
 痛ましさから無意識のうちに目をそむけたのだろうか。>(p210~220)

 戦争とホテルとの関わりを考察するノンフィクションであるが、この私的な
思い出の記述は、白眉ともいえる箇所ではないか。

     (山口由美「クラシックホテルが語る昭和史」 新潮文庫 2009初 J)

2月4日に続く~





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by byogakudo | 2015-02-03 13:50 | 読書ノート | Comments(0)


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