2015年 02月 04日

山口由美「クラシックホテルが語る昭和史」読了

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~2月3日より続く

 2006年7月22日付け当ブログでご紹介した(無事にすぐ売れた)
"We Japanese"だが、『第四章 ホテルと終戦』に説明があった。

 酒井温理(おんり)という青山学院大学の教授が原稿を書いた、
とされている。
< [注:山口]正造は、毎晩の夕食のメニューの裏に、日本の文化、
 風俗や習慣のことを英文で印刷するアイディアを思いつく。これは、
 好評を博し、後に『We Japanese』という本にまとめられるのだが
 [中略]
  正造にとって酒井は、単に原稿を依頼した、というよりは、共に、
 日本の文化や歴史について、ひいては国際問題や世界の政治まで、
 あらゆる興味を語り合った仲であった。
  なにしろ「私が満八ヶ年に山口氏と食卓を共にした度数は実に
 一千七百余回の多きに及び」というのだから、晩年、正造に最も
 近かった人物といっていいだろう。>(p263~264)

 『終章 厨房の見える部屋』に、「富士屋ホテル事件」について少し
書かれている。横井英樹、小佐野賢治に児玉誉士夫がからむ株買占め
により、富士屋ホテルの山口家・同族経営の歴史が終わる。1966年の
ことだ。
 子どもだったので、さすがにこの事件は記憶していないが、名前を聞く
だけで暑苦しく胃が重くなるようなトリオだ。氏も育ちも悪い上昇志向の
男たちが、クラシックホテルという、いわば深窓の令嬢を手に入れようと
攻防戦を繰り広げる図が目に浮かぶのだけれど(三人の男もホテルも、
なんとも近代の産物だが)この時代にクラシックホテルの位置づけは
どうだっただろうか。(p363~364)

 『第四章 ホテルと終戦』、後藤新平が満州に展開したヤマトホテル・
チェーンに関する考察は、ホテルを例にとった近代日本のデッサンだ。

< コロニアルホテルと横文字にすると、ロマンチックな響きさえあるが、
 植民地ホテルとは、どこにおいても[中略]血なまぐさい背景があり、
 統治国の国力や威厳を示す記号的な意味をもつものだ。
 [中略]ヤマトホテルは、確かに日本の植民地ホテルだった。
  さらに日本の場合は、ホテルというものがそもそも自国の文化で
 なかっただけに、より一層、複雑な思惑が交錯する存在となった。
 すなわち、植民地に西洋文化の象徴であるホテルを置くことによって、
 支配する土地に国際的な意味づけを示し、侵略の意図をカモフラージュ
 する。ホテルを運営する側に意図が存在しなくとも、ホテルとは、少なく
 とも政治的にそうした解釈が可能なものであった。西欧諸国においては、
 ストレートに侵略の象徴であった植民地ホテルは、日本の場合、より
 重層的な意味を含むに至ったのである。むしろヤマトホテルを通じて、
 日本はホテルというものが持つ政治的な役割を知ったのかもしれない。
  後になって、侵略をカモフラージュするものとしてのホテルは、国の施策
 として示されることになる。それが昭和五年に設立された国際観光局であり、
 具体策として打ち出された国内ホテルの新規開業に対する特別融資であった。
 融資を受けたホテルは、上高地帝国ホテル、蒲郡(がまごおり)ホテル(現・
 蒲郡プリンスホテル)、雲仙観光ホテル、川奈ホテルなど、増改築のホテル
 ニューグランドも含め、全国で十五軒にのぼる。
  ホテル新設の目的は、日本の中国大陸進出が非難されていた国際情勢
 のなか、日本のイメージ刷新のために促進された外客誘致だったとされる。
 きな臭い時代であったからこそ、より切実に結果を求められた、戦前の
 「ようこそジャパン」であった。>(p227~229)

 新しい戦前を迎える今、キャッチコピーは「お・も・て・な・し」__
「表無し」__、すなわち裏の意味づけ、思惑だらけという実体を、
図らずも現すコピーで第二次(幻の第一次を含めれば第三次)東京
オリンピックは誘致された。

     (山口由美「クラシックホテルが語る昭和史」 新潮文庫 2009初 J)





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by byogakudo | 2015-02-04 21:43 | 読書ノート | Comments(0)


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